AIの常識外の一手

 そんな藤井の言葉を象徴するような「事件」があった。2017年5月、現役名人だった佐藤天彦九段と対戦したAI「ポナンザ」の初手は常識外れの「3八金」。棋士の公式戦では出現したことがない、つまり人間ならまず指さない手だ。

 佐藤は体を真横に折り曲げて悩んだが、この勝負を制したのはAIだった。羽生は「我々がやってきた将棋は、将棋の一部でしかなかったのでは」とうなった。これについて谷川は「将棋の初手は30通りの選択肢があり、普通は角道を開く7六歩とか飛車の前の歩を進める2六歩、さらには真ん中の歩を進める5六歩の3通りが圧倒的です。それ以外を指されたらそこで考えるしかない。人間は何百手とかは読めても何万手とかまでは読めません。AIと違い、直感で多くの手は捨てて、残りだけで考えます。3八金なんていう手を指されることを考えませんが、序盤なのでそれで形勢を損ねるわけでもない。これからもAIの長所、人間の長所をうまく組み合わせて(将棋以外でも)すべての分野でAIとうまく付き合うしかないと思います」。

AIの登場により、将棋は新しい時代に入った

 藤井はAIについて「数年前は棋士とソフトの対局が大きな話題になりました。今は対決の時代を超えて共存という時代に入ったのかなと思います」と語っている。言葉通り、「人間対AI」の時代は短期間で終わり、棋士たちは研究に使うようになった。

「AI研究を始めるのは比較的遅かった」という谷川は、藤井について「AIを非常にうまく取り入れることに成功した」とみる。「AIで事前の研究と対局後の研究がやりやすくなりました。戦略としての事前研究が大事になってきて、次の対局に向けて相手が知らないような指し方を自分だけが知っていれば、そこに引っ張り込んで戦えれば有利にもなります。以前はどこが敗着か分からないことが多かったのが、今はデータを打ち込めば分かる。負けた将棋を研究し次に生かせる。対局では直後に感想戦もしますが、その検討が正しいかどうかは何ともいえない。どの手が疑問手だったかとか、対局で感じていた優勢、劣勢が本当はどうだったのかなどもAIと人間の感覚が違うことはあります」(谷川)

 名古屋には将棋会館がないため、藤井は東京か大阪に始終通わねばならないハンディがある。こうした中、多くの研究が自宅でできるAIがハンディをカバーしている面もあるのではないだろうか。