イギリス留学で得た
最大の成果
二代忠兵衛が洋行で得たもっとも大きな財産は井上準之助との出会いだった。本人自身が「井上さんと出会ったことが後半生を決めた」と語っている。
二代忠兵衛にとって生涯の師となる井上は、浜口雄幸内閣(1929~31)の大蔵大臣として金解禁を断行し、結果として不況を引き起こしたとされる。
井上は大分県の出身。帝国大学英法科卒業後、日本銀行に入った。営業局長、ニューヨーク代理店監督役などを経て、横浜正金銀行常務副頭取、ついで頭取。
横浜正金銀行とは後の東京銀行、現三菱UFJ銀行で、海外に支店網を持つ外国為替に精通した銀行だった。井上は横浜正金銀行の頭取から日本銀行総裁になる。
関東大震災直後、恐慌を乗り切るため第二次山本権兵衛内閣の蔵相となるが在任4カ月で辞任。のち貴族院議員、ふたたび日銀総裁に就任している。ある時期、日本の金融政策を統括していたと言っていい。その後、貴族院議員としての選挙運動中に血盟団のメンバー、小沼正に暗殺された。
井上がニューヨークに駐在していた時代、二代忠兵衛はイギリスへ向かう前に立ち寄っている。
知人の紹介で井上のオフィスを訪ねたところ、どうしたわけか「俺と同じホテルに泊まれ」と言われ、114丁目のホテル・マルセイユに宿を取った。
井上は二代忠兵衛を起こすため、朝早く、部屋をノックした。そして、部屋の様子を眺めると、こう言ったのである。
「君、部屋のなかはきれいにしておきたまえ。靴は廊下に出しておけば朝までに磨いてくれる。汚れものはどれもすぐに洗濯に出せ。紳士は朝から汗のにおいをさせてはいかん」
そうやって注意され、二代忠兵衛は恥じ入った。亡くなった父親のようにも感じたのかもしれない。井上が血盟団事件で暗殺(1932年)されるまで敬慕し、何度も相談に出かけている。
井上は忠兵衛がやってくると、人生や生活についてアドバイスをした。そして、折を見て、仕事についても忠告した。
当時は繊維商社として地歩を築きつつあった伊藤忠を見て、井上はこう諭した。
「伊藤忠は繊維商社で終わってはいかんのだ」