いまの日本にリーダーが足りないと言われるが、それは本当だろうか。先ごろ、『採用基準』を刊行したマッキンゼーの元採用マネジャー、伊賀泰代氏と、フリービット取締役で人材教育の第一人者、酒井穣氏がリーダーシップをテーマに語り合ってもらった。

リーダーシップは自分の価値観そのものである

酒井穣氏

酒井穣(以下、酒井):伊賀さんの『採用基準』を手にして、どうせなら批判的に読もうと思ったのですが、昨年僕が書いた『リーダーシップでいちばん大切なこと』と通ずる部分が多く、あまり僕として批判するところもなく、わかるなあという印象が強かったです。

伊賀泰代(以下、伊賀):ありがとうございます。酒井さんの本はベストセラーになった『はじめての課長の教科書』を含め何冊か読ませていだいているのですが、その本はまだ読んでいませんでした。ごめんなさい(笑)。

酒井:いえいえ。僕も、伊賀さんが書かれている「一人一人がリーダーになる」という点について、イチロー選手の発言を引き合いにして書きました。日本が2009年のWBCに優勝したとき、イチロー選手は「リーダーなんか誰もいない。みんなが好き勝手にやっていただけだ」という趣旨の発言をしています。最初は、これはリーダーシップ論に対する挑戦だと感じましたが、読み方を変えれば、自律的に動く参加者は、全員がリーダーだと解釈すれば、このイチロー選手の意見も納得できます。

 僕の『リーダーシップでいちばん大切なこと』で追及しようとしたユニークネスは、「リーダーシップとは何か」という部分を深堀りすることでした。その過程で、リーダーの語源を探っていくと、リースというインド・ヨーロッパ語にたどり着きました。で、リースには「敷居を越える」とか「死ぬ」という意味はあるのですが、フォロアーのような「誰か他人を引っ張る」という意味はなかったのです。

 よく考えてみたら、リーダーというのは、最初のフォロワーがつく前から、リーダーらしさをもっているし、フォロアーがつく前後で、何も変わっていませんよね。極端かもしれませんが、フォロワーがいなくてもリーダーシップがあると考えれば、リーダーとは自分の価値観そのものであることがわかります。

 もっと正確に言えば、リーダーとは価値観そのものであり、自分とは、その価値観の最初のフォロアーであるわけです。他人から何と言われようと、自分自身の価値観に従って生きていくのがリーダーシップと言えるのではないでしょうか。

伊賀:そうですね。日本人は大きな組織や特別なプロジェクトを率いる人だけをリーダーとイメージしがちですが、たとえ2人だけのミーティングでも、リーダーシップを発揮する人と、そうでない人がいます。酒井さんのおっしゃるように、自分自身の価値観さえしっかりと持っていれば、日常的な場面や小さな集団でもリーダーシップは発揮し得るものだと思います。

 ところでイチロー選手の発言は、周囲から「イチロー選手は、リーダーとして本当にすばらしかった」という称賛の言葉を受け、それに応えてのものだったと思いますが、この答え方は日本人に特徴的な回答方法です。

 日本では、リーダーシップを発揮して成果を上げた人が周りから称賛された時に、「僕はリーダーじゃない。みんなの力です」と述べることが、模範的な答え方とされています。おそらく、そう語ったほうが人徳があると思われるからでしょう。

 ところが、マッキンゼーを始めとする欧米コミュニティでは、こういう場合の答え方が少し違います。周囲の人はプロジェクトを成功に導いたリーダーに「グレートリーダーシップ!」という賛辞を贈り、それを受けた本人は、まず「ありがとう!」と答えます。

 そしてその後、「もちろん私も頑張ったが、実はあの人も○○の分野で素晴らしいリーダーシップを発揮してくれた。また、目立たない部分で○○さんのリーダーシップも驚くべきものだった」などと、他の人のリーダーシップを褒めるのです。

 日本式の回答だと、まるでリーダーがリーダーシップ自体の価値を否定しているかのようにも聞こえますが、後者の場合は、様々な人がリーダーシップを発揮したことをお互いに称え合うというスタイルです。この点が日本的組織と外資系組織の大きな違いで、日本でもこうなれば、リーダーシップが肯定的なものと捉えられるようになるはずです。私が変えたいのは、このようにリーダーシップがややネガティブに捉えられていることなんです。