2021年のノーベル経済学賞は、デビッド・カード、ヨシュア・アングリスト、グイド・インベンスの3名が受賞した。特にカードは、「労働者の最低賃金を引き上げた場合に、負担が増した企業は雇用を減らすはずだとされていた常識が必ずしも正しくないことを自然実験の手法を用いて実証」したことが評価されたと報道されている(NHK「ノーベル経済学賞に米大学の研究者3人」)。
ここでいう「最低賃金の引き上げ」と「雇用」のように、2つ以上のことがらの因果関係を解き明かすことを「因果推論」と呼ぶ。経済学で今一番ホットな分野だ。そして、この「因果推論」をどこよりもわかりやすく解説していると話題になっているのが『「原因と結果」の経済学』である。「経済学者・経営学者・エコノミスト111人が選んだ2017年『ベスト経済書』」では堂々の1位を受賞し、因果推論の最適な入門書として大学に続々採用されている。
そんな『「原因と結果」の経済学』の本文の中から、デビッド・カードの研究について解説した箇所を特別に公開する。

ノーベル経済学賞を受賞したカードによる最低賃金の研究をどこよりもわかりやすく解説!Photo: Adobe Stock

「最低賃金」と「雇用」のあいだに
因果関係はあるか

 雇用者が労働者に対して支払わなければならない賃金の最低額を「最低賃金」と呼ぶ。日本では都道府県別に最低賃金は異なっており、たとえば2021年10月時点の最低賃金は、東京都では時間あたり1041円、沖縄県では820円となっている。

 もし企業が、最低賃金の上昇に伴うコスト増を、リストラをして人員調整することで相殺しようと考えたなら、最低賃金の増加は雇用の減少をもたらすだろう。実際に1970年代のアメリカでは、最低賃金の上昇によって若者の雇用が減少したと言われている。

 しかし、最低賃金と雇用のあいだに因果関係があると断定するのは尚早だ。最低賃金の引き上げは、しばしば景気が悪化しているときにとられる政策である。賃金を上げ、個人消費を改善させるためだ。

 このような場合、「景気の悪化」は、最低賃金にも雇用にも影響を与える。そのため、「最低賃金が上昇したから雇用が減少した」(因果関係)のか、「雇用が悪化したため雇用は低下し、最低賃金が引き上げられた」(相関関係)だけなのかがわからなくなってしまう。

因果関係………2つのことがらが「原因」と「結果」の関係にある。つまり原因があるからこそ結果がもたらされたということを意味する。もう一度原因を取り入れれば、次も同じような結果が得られることが期待される。
相関関係………2つのことがらは一見すると「原因」と「結果」の関係にあるように見えるものの、実はそうではないような関係のこと。原因と結果が逆であったり、別の第3のことがらのせいでそのように見えてしまっている場合などがある。この場合、もう一度原因を取り入れたとしても、同じような結果は得らえない。

 この問題に挑んだのがカリフォルニア大学バークレー校のデビッド・カードとプリンストン大学のアラン・クルーガーである。彼らは、ニュージャージー州とペンシルベニア州の境界をまたいで隣り合う郡に着目した。アメリカでは、最低賃金の変更は州ごとに行われるので、1992年にニュージャージー州だけは最低賃金を4.25ドルから5.05ドルに上げ、ペンシルベニア州では据え置かれるということが起こった。

 この研究では「差の差分析」という研究デザインが用いられている。1つ目の差として、1992年前後の2つの州での雇用率の差を取り、2つ目の差として、ニュージャージー州とペンシルベニア州の雇用率の差を取った。この2つの「差」を取ることで、最低賃金の上昇が雇用に与える効果(「因果効果」と呼ぶ)を推定したのである。

 カードらの分析の結果、最低賃金の上昇は雇用を減少させないことが明らかになった(注1)。また、最低賃金の上昇は、ニュージャージー州の企業による価格の上昇をもたらしていることも明らかになった。つまり、企業は、最低賃金によるコスト増をリストラではなく、価格に転嫁することによって切り抜けようとしたのである。

 マサチューセッツ大学アマースト校のアリンドラジット・デューブらが、ニュージャージー州とペンシルベニア州のケースを全米に拡張した論文でも、同様に最低賃金が雇用に与える因果効果は確認できず、穏やかな最低賃金の上昇がもたらす雇用への悪影響は限定的との見方を示している。

注1 カードらの論文には、カリフォルニア大学アーバイン校のデビッド・ニューマークらによる反論がある。また、今なおさまざまな研究が行われており、最終的な結論は出ていない。特に、ここで紹介した論文の結論が日本にもあてはまるかどうかには慎重な議論が必要である。日本における実証研究については、大竹・川口・鶴編(2013)や鶴(2013)がある。