食肉は、生産者の努力や畜産動物への愛情を経て、消費者に届けられている。この仕組みは当然頭に置いているし、肉を食べるということは動物の命をいただくということであるのも理解しているつもりである。たとえば筆者は、「満腹でどんなに腹が破裂しそうになっていても肉類だけは完食する」という自分ルールを持っている。「お肉に感謝しよう」と意識的に試みて、気休めの自己満足を行っているわけである。
 
 しかし、畜産動物が食肉に加工されていく過程を鮮明にイメージすることは、日常の中ではない。「痛ましいので考えないようにしている」といった方が正しいかもしれない。卑怯者である自覚はあるが、「大体みんなそんなものでしょ」という開き直りもある。
 
 だが、 “はるこ”の肉は、そのように逃避しようとする筆者を捕まえ、現実の前にしかと引き据えた。口に運ぶことがためらわれる肉であった。
 
 筆者より感性が鋭敏な妻は、「この子(はるこ)はうちの娘(3歳)より生きていない」などと感じたらしく、「食べられないかもしれない」と文字通り全身を震わせ葛藤していた。結局、ともに覚悟を新たにして“はるこ”をおいしく頂いたわけであるが、これは印象深い体験となった。 食肉には業が付きまとうことを、再確認させられたのである。