自分とは無縁と思っていても
菜食主義に至る道は人それぞれ

 知人が急にビーガンになった。それまでは普通に肉を食していた人である。
 
 原因は、直接的ではないがコロナ禍であった。コロナ禍をきっかけに種々の陰謀論に触れて興味を持ち、どんどん調べていった。陰謀論を調べるのが趣味と呼べるほどになってきたある日、「違法な食品加工の現場に潜入しリポートする」といった類の動画を見て、肉類が一切食べられなくなってしまったそうである。「まさか自分が完全菜食主義になるとは思わなかった」と語っている。
 
 誤解なきよう断っておくが、「ベジタリアン・ビーガンというライフスタイルは陰謀論と親和性が高い」といったことを主張するために、このエピソードを紹介したわけではない。環境問題や大量消費を憂慮した末に菜食主義を選択する人もいれば、自身の健康を鑑みて肉食を断つ人もいる。別の菜食主義者に直接取材した経験のある知り合いのライターは、「しっかり確立された論理に基づき、そうしているのだな」という印象を受けたそうである。
 
 つまり、菜食主義となるに至る道は無数にあるため、多くの人にとって菜食主義は無縁ではないのではないか、ということが、先述のエピソードを通してうかがえるわけである。仮に筆者が菜食主義になるとするなら、“動物愛護”あるいは“センチメンタリズム”などが理由となるかもしれない。

意外に身近にあるかもしれない
“菜食主義”という生き方

 食物連鎖は、地球に生物が誕生してから連綿と続けられてきた真理である。肉でも魚でも植物でも、食べるということは命を頂くということであり、筆者の場合ならそのうちの“食肉”だけに心を揺らされるのがいかにも「感傷的」「自分の気分」という実感があるが、自分の感性がそう反応してしまったのだから仕方がない。
 
  今回の思索を通して、「肉食をしている人にとっても、“菜食主義”は意外に身近にあり、突拍子のない生き方ではないのではないか」と感じられるようになった。
 
 近年は「大豆ジャーキー」のような、大豆由来で肉の味を再現する“ベジミート”食品が増えているし、培養肉の研究も急速に進んできている。これらの分野は、ベジタリアン・ビーガンの人口が増えるのに比例して、さらに開拓されていくことであろう。
 
 ネットを閲覧していると肉食主義と菜食主義の対立構造が目につくが、異なる考えを排斥せず、尊重できる日が訪れることを願いたい。