関税自主権の回復で
日本の輸出入が増大
二代忠兵衛が帰国した翌年の1911年、貿易にかかわるものには画期的な条約が結ばれた。外務大臣、小村寿太郎の努力により、アメリカと新しい日米通商航海条約が結ばれた。これによって関税自主権が完全に回復されたのである。
それより以前の話になるが、明治維新の前から江戸幕府は諸外国と関税について取り決めをしていた。輸出関税は5%、輸入関税は20%だったが、諸外国の圧力で輸入税率を5%に引き下げたのだ。すると欧米から安価な商品が流れ込んできた。特に産業革命で大量生産されたイギリス製の綿製品が入ってきたため、日本の家内工業は壊滅的な被害を受けたのである。
明治に入って、歴代の外務大臣は、列強と法権、税権を回復するための交渉に入った。法権については外務大臣、陸奥宗光の努力により、1894年に治外法権の撤廃が決まった。そして、関税自主権の回復は、日清・日露戦争に勝利した後、交渉が軌道に乗り、この年に実現したのである。
この結果、日本の輸出入は増大し、貿易にかかわる商社にとってはビジネスチャンスが増えていく。
第一次世界大戦が勃発した1914年、二代忠兵衛は傘下の会社を統括する1セクションだった「伊藤忠兵衛本部」を法人化し、伊藤忠合名会社にした。
伊藤忠合名は会社組織の司令塔で、綿布を扱う本店と京店、綿糸を扱う糸店など4店の経営方針を決め、業務指導、人事、資金などを統括した。各店がばらばらに動くのではなく、組織全体が歩調を合わせて大正(1912~26)年間を乗り切っていくことを決めたのである。