いきなり叱られている気分? “お説教”に聞こえるか否か

「DontBeThatGuy」動画を見て、最初に筆者は「ふーむ…」となんとも言えない感情になった。「よく言ってくれた」と快哉を叫びはせず、「何を言っているんだ」と真っ向から反発するでもない、何か厄介なことを背負って胸にしこりが生じたような気分であった。
 
 まったく予備知識がない状態で視聴したわけではないので、この感想も筆者の純然たる魂の反応ではない点にご留意願いたい。「『男性が率先して性暴力防止のために意識を変えていくべきだ』と呼びかけた動画が賛否を呼んでいる」という予備知識があり、議論が世界的に行われている“性暴力防止”という超難題トピックであるから「心して見なければならない。安易に賛成・反対を決めてはならない」と、大いに緊張して視聴に臨んだ。その結果の感情であった。
 
 自己分析するに、おそらく複数の感情や考えがない交ぜになった「ふーむ…」である。
 
 まず、動画の作りが視聴者(特に男性)の危機意識を高めるためか、男性に対して挑戦的である。セリフや編集もそうだし、問いかけてくる俳優(の卵のような人たちか、あるいは演技の方面では特にプロフェッショナルということもない一般の男性)が、ともすれば敵対的とも思える視線を送ってくる。

 彼らの視線が敵対的な様子を帯びているということでなく、そもそも“視線”というものそれ自体が敵対的な性質を持っているので、視線を延々とこちら(カメラ)に向けられて、思わずこちらも身構えてしまうのである。すると、視聴者が感じるのは「しっかりやっていこうぜ兄弟」といった同調をベースにした懐柔・共鳴的なアプローチでなく、「しっかりやれよ兄弟」というお説教である。動画の主張に最初から完全に賛同していない限りは、ふと視聴しただけでいきなり叱られているような気分にさせられるのである。
 
 その視線とあいまって、問いかけがある。問いかけの内容は、「酔った彼女をタクシーに乗せて家に連れ帰ったことは?」など、経験者が一定数に絞られるようなものもあれば、先述のように割合多くの男性が経験していそうなことを尋ねるものもある。