「生きている」という実感が欲しい

 張りのある生活をしたい。それはだれもが思うことに違いない。

 50代に差しかかった人に限らず、退屈な毎日の繰り返しの中で、張りのない生活に陥っているというのは、実によくあることだ。そんな生活に甘んじてきた人が、張りのある生活に移行するきっかけとなるのが、日々の生活の平安を脅かすようなできごとだ。

 例えば「重い病気になる」。それによって生きることの意味を考えるようになり、それがきっかけで張りのある生活を模索したりする。

 また「配偶者とのあつれきが表面化し、日常の歩みに乱れが生じる」。それが心の中にくすぶっていたものへの気付きを促し、より納得のいく生活に踏み出すきっかけになったりする。

 あるいは「リストラに遭う」。それによって退屈なほど平穏な仕事生活に亀裂が入り、ピーンと張り詰めた毎日になることもある。

「組織の上層部と対立する」ということもあるかもしれない。そのために職場に居づらくなり、生活が脅かされることで、生きる意味や働く意味について真剣に考えるようになる。張りのある生活を求めて、リスクを冒しつつも自分らしい人生への一歩を踏み出す……そんなこともある。

 こうした事例を思い浮かべたり、自分自身が厳しい状況に追い込まれたときのことを思い起こしたりするとき、精神科医として「生きがい」についての考察をしている神谷美恵子による、次のような言葉の意味を実感する。「生きがい感はただよろこびだけからできているものではない」とする神谷は、さまざまな感情の起伏や体験の変化を含んでこそ生の充実感はあるとする。