2位は盛田昭夫
数々の新たな市場を生み出し、ソニーを世界的企業へ

【盛田昭夫(もりた・あきお】
1921年、愛知県生まれ。1946年、井深大と東京通信工業(現・ソニー)を設立。日本初のテープレコーダーを発売し、ソニーを世界的企業へと育て上げた。1999年没。

 盛田昭夫さんとは、取材のほかにも、新幹線や飛行機で乗り合わせることがたびたびあった。私の隣の席の人に「すみませんが、ちょっと席を替わっていただけないでしょうか」と頼み、そこに座って政治や経済についてとても熱心に聞いてきた。とにかく人の話を聞くのがうまく、非常に好奇心旺盛な人物だった。

「前向きに努力さえすれば、どんなことでも必ず解決できる」と話す盛田さんに、落ち込んだり悲観的になったりすることはないのですかと聞くと、「仕事に夢中で、落ち込んでいる暇なんてないんだよ」と言っていた(笑)。すごいよね。

 彼らが率いるソニーは、ゼロイチ(0→1)、つまり世の中にないものをつくり、まったく新しい価値を生んだ。そして実際にそれを商品化した。まさに「イノベーション」である。

 たとえばアメリカでトランジスタ(半導体素子)が開発されたが、なかなか商品として世の中に広まらなかった。これをポータブル化してラジオとして売り出したのがソニーだ。世界中で大ヒットした(※編集部注 この時のソニーのトランジスタラジオ「TR-55」は、iPodを始め、現在使用されているほとんどのポータブル機器のひな型となっている)。

 技術があっても、それが世の中で使われなければ意味がない。いかに商品化するか、これが非常に重要だ。その典型がウォークマン。盛田さんはこう言っていた。「既存の技術を組み合わせて、(ウォークマンのような)あれだけおもしろいものがつくれるのです」。

 1948年、日本がまだ連合国軍の占領下に置かれていた頃、東京にはGHQ(連合国軍総司令部)の事務所が数多く存在した。あるとき、盛田さんと共同創業者の井深大さんがミキシング装置をGHQ管理下のNHKへ届けに行くと、見慣れない四角い機械があった。GHQが使っていたウィルコックス社のテープレコーダーだったが、それに対し並々ならぬ関心を持ち、国産のテープレコーダー開発に着手した。

 しかし巨大で重く、高額だったため、なかなか買い手が見つからなかった。小型化に成功し、テープレコーダーから録音機能とスピーカー機能を抜き取り、代わりにヘッドフォンをつけた。ウォークマンの誕生だ。既存の技術を組み合わせることで、歩きながら音楽を聴くというアイデアを形にし、まったく新しい製品をつくった。

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週刊ダイヤモンド(1991年11月5日号)の盛田昭夫氏へのインタビュー

 テープレコーダーやトランジスタラジオ、ウォークマンなど、アイデアを商品化するだけでなく、販売ルートの開発にも力を入れた。

 盛田さんに技術者から営業へと転向した理由を聞くと、「技術開発をして新しいものをつくったら、それをお客さんに知らせて、売らなきゃいけない」「技術の開発と販売ルートの開発はどちらも重要です。だから、私は販売ルートの開発に専念することに決めたんです」と述べた。盛田さんは技術の開発者から、マーケットの開発者へと転向したというわけなのだ。

 彼らが起こしたイノベーションは数多くの新しい産業を生み出し、「世界のソニー」を築き上げた。