バフェット少年の人生を変えた
1冊の書籍との出会い
1941年に11歳だったバフェットは、オマハ公立図書館のベンソン支所で銀色の表紙がひどく目立つ本と出合った。
『1000ドルを手に入れる1000の方法――事業を立ち上げて空いた時間にお金を稼ぐための実体験に基づく実践的アドバイス』と題するその本は、F・C・ミネイカーが1936年にダートネル社から出したものだった。当時の世相を反映して、女性であることを隠すためにフランセス・メアリー・コーワン・ミネイカーは著者名にイニシャルを使った。
バフェットは、1940年代にネブラスカ州オマハに住んでいた少年である。テレビもビデオゲームもなかった。パソコンもスマホも、もちろんない。ただ、ラジオはあったし、土曜日の午後にはたまにダウンタウンで映画を見ることもあった。しかし、バフェットを含む多くの人々の楽しみは新聞や雑誌、本などを読むことだった。
バフェット少年が見つけ出した宝物をしっかり抱えて図書館から家へまっしぐらに駆け戻る姿を想像してほしい。家に飛び込むと椅子にドスンと座り、本を開いて新しい世界に飛び込む。どうやってお金を稼ぐかという、まだ完全には理解していない重要な世界だ。
この本は408ページの分厚い本だ。幅広いテーマを取り扱っている。事業を起こす何百もの具体的なアドバイスに加えて、営業や広告、販売計画、顧客管理、そのほかの多くのテーマについて明確な指導が盛り込まれていた。よいアイデアをよいビジネスにし、中には大成功を収めた多くの人々の物語が溢れた本だった。
皆さんにもなじみのある名前が登場する。
ジェームズ・C・ペニーが最初の仕事で稼いだのはひと月でわずか2ドル27セントだった。ペニーは自分の小さな事業を二人のパートナーとの共同事業にして、1902年4月14日にJ・C・ペニーの1号店をオープンした。最初の年の売り上げは2万8891ドルに上り、利益のうちペニーの取り分は1000ドルを少し超えた。
バフェットはページをめくって、23歳のジョン・ワナメーカーの話に進む。彼は義理の兄弟であるネイサン・ブラウンを説得し、二人のわずかな蓄えを合わせて地元フィラデルフィアに紳士服店を開いた。南北戦争が予感される一方で1857年の恐慌の名残もあり、大量の失業者が溢れ、製造販売活動は完全に破綻していた。彼らは果敢にも1861年4月27日に店を開いた。8年を経て、ワナメーカー・アンド・ブラウンは全米で最大のメンズショップになった。
楽しい空想は膨らみ、バフェットはどんどん読み進めた。