約100冊の独特な読書体験をまとめた著書『人生の土台となる読書』を上梓した、pha(ファ)氏。本書では、「挫折した話こそ教科書になる」「本は自分と意見の違う人間がいる意味を教えてくれる」など、人生を支える「土台」になるような本の読み方を、30個の「本の効用」と共に紹介した。
その刊行を記念して、『明日、機械がヒトになる』『キッズファイヤー・ドットコム』などの作品を持つ作家の海猫沢めろん氏との対談を行った。読書家である2人による、「もっと本が好きになる」ための読書談話をお送りする。

→前回「自分のダメさについて『読書』が教えてくれること」の続きです。

読書家が辿り着いた「1つのことを突き詰めなきゃ」という病についてpha氏(左)、海猫沢めろん氏(右)

「小説」にしか、できない表現

海猫沢めろん(以下、海猫沢):今回、phaさんが書かれた『人生の土台となる読書』という本で面白かったのは見田宗介さんの話で、「自分にとって切実な問題を考えなくてはいけない」という呪縛がいまだにやっぱりあるんですよ。僕の中でちょっと強迫観念みたいになっていて。それが見つからないとずっと嘘の人生を生き続けることになるぞみたいなことを多少思っちゃっているんですよね。phaさんはそういうことはないですか?

pha:それはないかなあ。人生で何かをしなければいけない、という考え自体がまやかしだと思ってるかも。

海猫沢:いろんなことを割り切ったほうがシンプルにはなるんだけど、大人の悩みはもっと複雑で俗っぽいと思うんですよね。宗教にまでいくと、ものすごくシンプルとでざっくりしているじゃないですか。「出家しろ」とか、「全部捨てろ」とか。それができればいいけど、そんな簡単な話じゃないですし。でも、仏教は、いや、この世は全部まやかしなんだ、と……。

pha:そういう真理を教えてくれますよね。人間は余計なことを考えすぎるから苦しむという。本の中でも魚川祐司『仏教思想のゼロポイント』という「悟り」とはどういうものかを論じた本を紹介しています。

海猫沢:だけど僕はそういう煩悩とともに生きることを肯定したいんですよね。僕が小説を書いている理由もそこにあるらしくて。小説って、悟れない人のためのものだと思ってるんですよ。小説は、宗教ほど崇高ではないものを救える可能性がある。

 あるとき、超有名なIT企業のエリートの人と喋っていて、「違う世界の人だな」と思っていたんです。イケててウェーイみたいな人なんです。その人に、「小説とか読むんですか?」って聞いたんです。決してバカにしているわけではなく、どういう本を読むのかが普通に知りたくて。

 そうすると、「あまり本は読まないんだけど、1回だけ、人生ですごくつらいときがあって救われたことがあります」って言うんです。」彼は昔、不倫をしていて、それを誰にも言えなくて大変なことになってしまったんです。そのときに、車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』を読んで、「あっ、自分だけじゃないんだ」と救われたそうで。それを聞いて、「めっちゃいいな」と僕は思ったんですよね。小説は、そういうもんだよなって。

pha:あの小説はそういう話ですよね。だいぶ昔に読んだんですが、主人公が女性とどっかに逃げて、うらぶれた家みたいなところでひたすらモツの串打ちをしてたところが印象に残っています。「人間はこんなにダメな部分があるよ」というのを見せてくれるのは、やっぱり小説なのかな。

海猫沢:つらい時代だと思いますよ。そんなのはダメだって普通に言われちゃう。ダメなものはダメだって(笑)。

pha:最近は不道徳なことを書くとすぐ炎上する、ということですか。ツイッターとかはそうなってきてるけど、小説の世界でもそうなんですか。

海猫沢:もうすぐ出る僕の新作『ディスクロニアの鳩時計』という小説も、まさにそんな話です。わかってもらえないだろうけど、その中のわかる人だけ救えばいいと思っています。

pha:現実ではやってはいけないけど、人間の心のなかには確かにあるものというのは、小説でしか書けないことだなという気がします。この本では小説はあまり取り上げていないんですが、そういうのを聞くと、小説でしかできないこともありますね。

 僕はエッセイとかノンフィクションのほうが好きなんだけど、その延長で私小説は好きなんですよね。でも、私小説ってなんか小説の中でも低く見られてるじゃないですか。この本では、小谷野敦さんの『私小説のすすめ』を紹介しているんですけど、これは「私小説は低く見られるようなものじゃない。一見私小説に見えない小説も、作者の実体験を元にしていることが多い」というようなことを言っている本です。