若い頃のつらさ、今のつらさ
海猫沢:『人生の土台となる読書』の「いい読書はアイデンティティを奪うほど嫉妬させる」という一文は、すごくわかります。ダメ系エッセイって全部そうじゃないですか。俺のほうが本当はもっとダメだぞみたいな(笑)。
pha:僕は、穂村弘さんにそれを感じてたんですよね。穂村さんは自分のダメさを本当に魅力的に書いていて、うますぎる。自分のことをダメ人間と言いつつそんなに魅力的な文章を書かれたら、僕みたいな凡人のダメ人間はどうしたらいいんだと思っちゃう。若い頃に読んで、ほむほむずるいなー、って思ってた。
海猫沢:穂村さんとはたまにお会いするんですが、穂村さんは僕のことを逆のタイプだと思っているみたいで。確かに穂村さんは新しいことを怖がってやらない人ですよね。僕は怖いからやっちゃうタイプなんですよ。
pha:やっていないのが怖いみたいな。
海猫沢:そうなんですよ。ベクトルがガーンって逆なんですよね。押したらどうなるんだろうと思ったときに、考えてると怖いから押そうみたいな。
pha:真逆ですね。でも、僕が穂村さんを読んで嫉妬したようなことを、僕も若い人から思われてそう。「全然ダメじゃないじゃん」とか若い人から思われたりして。
海猫沢:なるほど。ダメ勝負はよくないですよね。僕は滝本さんの『NHKにようこそ!』を読んだときに、ちょっと悔しかったんですよ。当時、「ああ、僕がこれを書きたかったな」と思いましたもん。
pha:確かに、滝本さんもダメさをうまく書いていましたよね。
海猫沢:でも、滝本さんは何かそこで、すごく極北まで行ったんですよね。『超人計画』とかで極北まで行きましたよね。このまま行ったら死ぬというチキンレースの突き当たりまで行って、そこで生きることを選んだんですよ。
pha:滝本さんのほうが突き詰めてるなと思うし、わかります。あと、年を取ってくるとわりとまともになってくる部分があるじゃないですか。若い人はそれを見て結構アラフォーの人は余裕そうだと思っていますよね。
海猫沢:うん。でも、違うんですよね。
pha:僕らも若い頃はしんどかったみたいなことを言ったり。
海猫沢:僕は、若いときより今のほうがつらいからね。
pha:そっか。僕は今のほうがラクだけど、めろんさんはラクになっていないんですね。
海猫沢:全然なっていない。だからいろいろそのときの感情を僕はまだ失っていないですね。
pha:でも、今は年を取った分、昔よりできることが増えてないですか?
海猫沢:できることは増えていますが、そのぶん、つらいこともいっぱい増えています。
pha:そうか……。やっぱりめろんさんのコアはそれですよね。なんか生きることのつらさみたいな、世界への怒りというか。
海猫沢:余計なことをしすぎるのかもしれません。集中して1つのことをやればいいのに、なんかいろいろやっちゃうんですよね。
pha:でも、最初の見田宗介の話でも出たけど、やっぱり自分の根本的なものを手放してはいけない、と考えると、めろんさんはそのつらさを持ち続けていくべきなのかも。そのつらさをコアにいろいろ書いたり、活動につなげていくべきというか。その部分がなくなったらめろんさんじゃない、という感じがします。
海猫沢:僕の悩みを一言でいうと、「中途半端さ」ですよね。だからその中途半端を常に突き詰めようと思っているんですけど、中途半端を突き詰めるって難しくないですか。
pha:それは矛盾してますね。めろんさんは本当にいろいろやってますからねえ。
海猫沢:だから、そこでいつも行き詰まることが多いんです。中途半端をどうしたらいいんだよ「なんだ、このパラドックスは?」っていつも思っています。
pha:中途半端の達人……。
「一つのことを突き詰める」という病
海猫沢:あ、それで言うと、中途半端の達人には結構いい本があります。安田登さんの『三流のすすめ』という本がいいんですよ。安田さんはお能をやっている人で、いろいろな本も書かれています。『三流のすすめ』というのは、僕たちって、一流、二流、三流という言葉をダメな意味で使っているじゃないですか。でも、それは実は違っている、という本です。
一流、二流、三流の語源は中国の魏の時代に遡るんですけど、その時代の書物に書いてあるのは、「国を任せたり政治を任せる人間は、三流じゃないとダメだ」ということです。一流というのは、一つのことに長けている人です。二流は二つで、三流は三つのことなんですよ。
pha:へー、そういう意味なんですね。
海猫沢:そうなんです。今って、逆の意味じゃないですか。三流ってダメな扱いですよね。
pha:逆ですね。
海猫沢:だけど、語源を遡ると、三流ってわりといい人なんです。三つのことがちゃんとできる人のことなんだと。
pha:本で紹介した『働くことの人類学【活字版】』にも、一つのことをする人たち、という話がでてきてましたね。「一つの仕事に専念するべき」というのは近代人の考えで、アフリカの狩猟採集民の人たちは、いろんなことをちょっとずつやったりするんですよね。
それで、彼らを近代化させたい西洋人たちは「一つの仕事をちゃんとやれ」って彼らに言うんだけど、そうしたら西洋人が来るたびに「一つのことをするやつらが来たぞ」とか言ってバカにされちゃうという。
日本でも、「百姓」というのは百の仕事ができるから、みたいな話がありますし、昔はわりとみんな、いろんなことをちょこちょこやっていた感じで、人間としてはそっちのほうが自然なのかもしれないですよね。
『私は魔境に生きた』という本はインドネシアのジャングルで終戦を知らずに10年過ごした日本兵たちの話なんですが、それもみんな百姓出身だったので、農耕、牧畜、鍛冶など一通りできたからサバイバルできた、という話で、すごく面白いんですよね。
海猫沢:だから、一つのことを突き詰めることが、現代の病なんじゃないかなと思ったんです。僕はそれを撃たなきゃいけないんじゃないかなと思っています。
pha:確かに。めろんさんは中途半端の達人としてそれをやってください。一つのことに専念すべきだ、という呪いはあまり意味がない気がしますね。みんな気分次第で好きなことをやったらいい。一貫性とかどうでもいい。
人類の歴史を斬新な視点から語った『サピエンス全史』でも、一つの仕事を長時間しなきゃいけないようになった農耕民より、それ以前の狩猟採集民のほうが、いろんなことをちょっとずつやるだけで食っていけて幸福度が高かった、という話がありますし。狩猟採集民的生活のほうが向いてる人は今でもいっぱいいると思う。
海猫沢:『三流のすすめ』に通ずるのですが、先ほどの東畑さんの『心はどこへ消えた?』の中でも、東畑さんがバジー東畑というペンネームを無理やり使っています。カウンセラーなのに、馬耳東風で、話を聞かないって最高に面白いと思って自分にペンネームをつけるんですが、めっちゃサムいって思ったらしく。いきなり失敗しちゃったみたいな。だけど、人格を二つ持つということが人生を豊かにするんだと言っています。全然違うもう一つの人格とかを持ったほうがいいんだと。
pha:それは時代の流れ的にも増えているかもしれないですね。
海猫沢:「分人」とかもそういう考えですよね。
pha:それもありますね。仕事だって、昔は何十年も一つの会社に勤め続ける人が多かったけど、そういうのも崩れ始めている。それによって生きるのが大変になったところもあるかもだけど、いろんなことを自由にやれるようになったところもある。そういう時代なんでしょうね。
海猫沢:いろいろやるけど、いろいろ全部嘘じゃなきゃいいんじゃないかなと思っています。好きでやっていけばいいんじゃないかと。
pha:嘘じゃないですもんね。あれもやりたい、これもやりたい、という気持ちは。
海猫沢:嫌いだとできないからね。というわけで、ちょっと長くなりましたが、ありがとうございました。『人生の土台となる読書』すごく面白かったです。
pha:ありがとうございました。ぜひ、『人生の土台となる読書』、興味を持った人は読んでみてください。
1978年生まれ。大阪府出身、東京都在住。京都大学総合人間学部を卒業して就職後、できるだけ働きたくなくて社内ニートになるものの、28歳のときにツイッターの登場に衝撃を受けて会社を辞めて上京。以来、定職につかず毎日ふらふらと暮らしている。シェアハウス「ギークハウス」発起人。ロックバンド「エリーツ」のメンバー。著書に『人生の土台となる読書』(ダイヤモンド社)のほか、『しないことリスト』『知の整理術』(だいわ文庫)、『どこでもいいからどこかへ行きたい』(幻冬舎)などがある。