自分の視点や考え方を変えることはなかなか難しい。特に、幼少期に無自覚に獲得した物事の見方や感じ方・行為のあり方は、知らず知らずのうちに仕事にも影響を与えていく。多様な人材が一堂に会する時代――偏った経験による価値観を変容させながら“個と集団の成長”を促すためには、誰がどうすればよいのか? 米国の社会学者ジャック・メジローが提唱した「変容的学習論」をもとに考えてみよう。(ダイヤモンド社 人材開発編集部)
「優秀さの罠」に嵌(はま)ったマネジャーのチームは…
新しくマネジャーになった人が陥りがちなことの一つに、「優秀さの罠」がある。現在の、日本企業の昇進システムでは、多くの場合、目立つ業績を上げた社員が昇進する。そうすると、多くの人が自分の優秀さはチームの中で一番だと部下に対して証明することが自らの存在意義と考えがちである。ここではマネジャーが、チームの中で自分の有能さを過度に示そうとすることを「優秀さの罠」と呼ぼう。
「優秀さの罠」に嵌るマネジャーは、部下からの質問やチームの中で起こる出来事全てに自分で答えを出そうとする。自分が答えを出すことが、自分の優秀さを部下たちに示すことにつながるからだ。全ての答えをマネジャーが示すと、部下たちは自分が進めているビジネスの答えを、マネジャーの頭の中から探すようになる。つまり、部下たちは自律的に自分の頭を使ってビジネスの答えを探そうとせず、マネジャーの頭の中の答えを探すことが習慣化するのである。当然ではあるが、マネジャーが持っている解が、全て正しいわけではないし、自律的に考えなくなった部下たちはマネジャー以上に成長することは難しくなる。こうして、マネジャーの劣化コピーの再生産が始まるのである。
また、「優秀さの罠」に嵌るマネジャーは、会議の場で部下から出た提案に対し、正論を振りかざし、徹底的に追及する形で議論を仕掛けてしまったりする。この行動にも、背景には自分の有能さを示したいという欲求がある。このようなことが何度も繰り返されると、メンバーは会議の場で発言することをリスクと考えるようになる。チームメンバーがお互いに、「このチームは自らの考えを気兼ねなく発言できない、下手に発言すると自分に不利益が生じる」と感じるようになるのである。つまり、ハーバード・ビジネス・スクール教授の、エイミー C.エドモンドソンが提唱する「心理的安全性」が保証されないチームになってしまう。
このようなマネジメントは多くの場合はうまくいかない。なぜなら、マネジメントの仕事とは、「他者を通じて物事を成し遂げること」(Getting things done through others)だからである。優秀さの罠に嵌ったマネジャーの下(もと)では、部下は自律的に考えることを奪われる。アメリカの心理学者であるエドワード・デシとリチャード・ライアンは、自発的にものごとを決め、自分の意思で行動を起こすこと、つまり、自律性が人の内発的動機づけを促進すると言っている。すなわち、人は自律的に仕事をやり切り、達成感を得た時にはじめて有能感をおぼえ、自分の仕事に満足する。
かくして、「優秀さの罠」に嵌ったマネジャーがマネジメントするチームの活力は奪われ、部下たちのワークエンゲージメント(活力に満ち、熱意があり、仕事に没頭している心理的状態)は下がり、職場のパフォーマンスは落ち込んでいく。部下が死んだ魚のような目になり、どんよりした雰囲気が漂う職場において、会社から与えられた目標を達成するために、マネジャーは自分一人で業績をあげようとする。そうすると、部下との距離はますます広がり、負の連鎖に巻き込まれることになる。
このようなジレンマから、新任マネジャーを救う理論に、ジャック・メジロー(*1)が提唱した「変容的学習論」がある。変容的学習とは、個⼈の信念が基づいている前提を再評価し、新しいものの見方を生成し、行動の基本を変化させていくことである。変容的学習の概念は、成⼈学習や経営学において幅広く引⽤されている。
変容的学習について詳しくみていこう。
*1 Jack Mezirow (1923-2014)米国の社会学者