自分の視点・考え方を“内省”するために必要なもの
イメージが掴みにくいので、先述した「優秀さの罠」に嵌ったマネジャーを題材に、変容的学習のステップに従って、変容の過程を辿ってみよう。仮に、このマネジャーをN氏とする。
N氏は、新しくマネジャーとして赴任した部署で、部下たちに自分の優秀さを認めさせるために、部署内で起こる課題を全て自分に報告させ、部下に「答え」を自ら(N氏自身)は意識しないまま押し付ける。部下はまるでN氏が敷いた線路の上を走らされているような気分になり、徐々に主体的に自分で考える努力を放棄するようになる。さらにN氏は、会議の場で、部下に対して徹底的に追及する形で議論を仕掛けてしまう。そのために部下たちからの反発は強くなり、必要な情報も出てこず、コミュニケーションが取れない状況に陥る。N氏は自分のマネジメントがうまくいかないことに気づき、不甲斐なさ、虚しさと無力感に苛まれ、このままだと「優秀さ」を発揮できないという恐怖に襲われる。
ここまでがメジローの変容のプロセスの、「混乱を引き起こすジレンマ」「おそれ、怒り、罪悪感あるいは恥辱感の感情を持った自己吟味」にあたるであろう。
そんな時、N氏は上司の勧めで、ある研究会に参加する。その研究会はN氏のようなビジネスパーソンばかりではなく、教師や医療従事者・役者などの多様な人材が集まる研究会であり、フラットな立場で、異業種の自分より若い人材と議論を交わす場が多くあった。その中でN氏は、素晴らしい意見を出す若手に圧倒され、自分の部下たちと同じ年代の人材の優秀さに驚き、自分のマネジメントスタイルに疑問を感じだす。
関西学院大学の松本雄一先生は、職場でも家庭でもない、第3の居場所としての「実践共同体(学びのコミュニティ)」が、個人の成長にとって大切な働きをしていることを指摘している。N氏が出席した研究会は、まさしくN氏にとって学びのコミュニティとなっている。
同じ頃に、会社が主催した管理職研修が実施された。研修では、同時期にマネジャーとなった新人マネジャーと5人一チームとなり、「現状の職場の姿」と「1年後の職場の姿」をレゴブロックで作成し、チーム内でシェアするワークが課せられた。そのワークの中でN氏は、「現状の職場の姿」として、販売目標と上司に押しつぶされそうな自分を描く。そして、「1年後の職場の姿」として、職場のメンバーとともに高い山を登っている自分の姿を描く。
自分のレゴブロックをチーム内でシェアした後、質問タイムが設けられ、その中で「なぜ、現状の職場の中には部下がいないのですか?」と問いかけられる。N氏は気づく。もしかしたら、私は職場の優秀な部下を生かしきれず、なんでも自分でやってしまおうと思っているのではないだろうか。正しさを振りかざして自分の考えを押し付けてばかりいたのではないだろうか。N氏はようやく、「優秀さの罠」に嵌っている自分の姿を問い直し、吟味しだしたのである。
ここまでがメジローの変容のプロセスの、「仮説の批判的評価」「自分の不満感と変容のプロセスが他者と共有されていることの認識」にあたるであろう。
自分の姿を内省するには、自分とは違うさまざまな他者の見方・考え方を知ったり、自分の行動が妥当であるかどうかを確かめたりする他者との対話が有効である。メジローは、討議が他者との対話の中で問い直しや内省を行われる場であると同時に、物事の妥当性について最適な判断をするための方法であると位置付けている。N氏が出席した管理職研修は、まさしくメジローの提唱した「討議」の場になっている。
N氏は、管理職研修で学んだリーダーシップに関する理論や同じ立場の新任管理職の経験や彼ら彼女らからのフィードバックを踏まえ、マネジメントのやり方を変える。部下の意見は遮ることなくしっかりと耳を傾けて議論を行った。また、部下の普段の行動を観察し、面談の際も綿密に準備を行い、各部員への期待感と期待するアクションを伝えるようにした。
そうすると、徐々に部下たちはN氏の話に耳を傾けるようになり、まともなコミュニケーションが取れるようになった。N氏は、管理職研修で作成したレゴブロックのように部員全員で大きな課題に取り組むベースができてきたと感じるようになる。
そして、「自分の正しさを振りかざしてばかりだと、チームに不協和音を生み、パフォーマンスは上がらない」「メンバーの意見は最後まで聞く」「指示する人ではなく、メンバーの力を引き出す人になる」などの新しいパースペクティブを獲得する。