変容的学習に必要な“クリティカル・リフレクション”

 まず、個人の信念が基づいている前提とは、ものの見方・感じ方・行為のあり方の習慣的な枠組みのことであり、メジローは、これを「準拠枠」、または、「意味パースペクティブ」と呼んでいる。意味パースペクティブは、多くの場合、子どもの頃の社会化のプロセスにおいて無自覚に獲得される。例えば、「男は泣いてはいけない」「女性はおしとやかでなくてはならない」などもそのひとつであろう。

 また、親や教師などとの人間関係の中で、感じ方や行為のパターンが形成されることもある。幼児期に親に褒められずに育った子どもが、成人した後に歪んだ自己愛を持つケースなどだ。これらは普段の生活の中では無意識に習慣化されている。そして、物事を判断したり、解釈したりする際に無意識の準拠枠が自動的に発動される可能性があるのだ。さらに困ったことに、個人が暗黙のうちに形成してきた準拠枠には、概して歪みがあるという。

 しかし、自分の中で無意識に習慣化されている当たり前に気づき、それに疑問を持つことは至難の業である。そもそも無意識に習慣化されているだけに、自分の仕事における判断や行動の前提となっている信念やスタイルを言語化し、語ること自体が難しい。

 それでは自分が無意識のうちに持っている準拠枠に気づき、再評価するためにはどうすればよいのだろう。

 メジローは、自らの信念や前提を問う「クリティカル・リフレクション(批判的内省)」が必要になると述べている。多くの企業で、自社の人材育成の基盤として活用されている経験学習モデルでは、経験と学習をつなぐ要としてリフレクション(内省)の重要性を強調している。ここで注意しなければならないのは、リフレクションにはレベルが存在することである。アメリカの成人学習論に先鞭をつけたと言われているマルカム・ノールズは、タスクや問題の詳細に焦点をあてるリフレクションと、当該タスクや問題の背景にあり、当然と思われていることを検証するクリティカル・リフレクションは質的に異なるとし、両者を明確に区別している。すなわち、仕事の手段を改善したり、目標や仮説、実際の結果を振り返ったりするリフレクションと、道徳的、論理的基準を含めて活動が公平なものであるかを振り返るクリティカル・リフレクションに分けて考える必要があり、変容的学習のためには、問題を解決するためのプロセスや方法に関する仮説を批判的に検討するクリティカル・リフレクションが必要となるのだ。

 例えば、ある専門商社のマネジャーは、「お客様との関係構築のためには対面営業や接待が不可欠である」という信念を持っていたが、コロナ禍で商談がオンラインとなり、宴席が全くなくなったにもかかわらず業績が変動しなかったことをきっかけに、自身の信念に疑いを持ち、内省した。その結果、目的のない宴席や既に取引のあるお客様への訪問をオンライン営業に変えることを決断し、社員のオンライン営業におけるプレゼンテーションスキルの向上に力を入れたところ、業績が向上したという。

 この事例は、自分の中で当たり前になっている信念や前提に疑問を持ち、見直しているという点で、自身の信念の正当性を評価するクリティカル・リフレクションの要素が含まれている。

 それでは、マネジャーはどのように変容的学習をするのであろう。メジローは変容的学習のプロセスを以下のように定式化している。

(1)  混乱を引き起こすジレンマ
(2) おそれ、怒り、罪悪感あるいは恥辱感の感情を持った自己吟味
(3) 仮説の批判的評価
(4) 自分の不満感と変容のプロセスが他者と共有されていることの認識
(5) 新しい役割、関係性、行為のための選択肢の探究
(6) 行動計画の作成
(7) 自分の計画を実行するための知識や技術の獲得
(8) 新しい役割を暫定的に試す
(9) 新たな役割や関係性における能力や自信を構築する
(10) 新たなパースペクティブの決定する条件の下で、自分の生活へと再統合される

(常葉-布施美穂「生涯学習理論を学ぶ人のために」から引用)