過去を振り返った分だけ
未来を見渡せる

高木 心にふっと隙間ができた時に、空気の美味しさに気づくように、「あ、幸せだ」と気づくだけで、幸福はつねにあるものなんだ。幸福になるのではなく、幸福に気づけるようになりなさい、そのためには、やるべきことと、やらなくてもいいことを見定め、つねに自分を磨く努力をしなさいと。それを聞いて、本当にその通りだなと思いました。細尾君はどうですか?

細尾真孝(以下、細尾) なるべく身体を動かすことでしょうか。毎日、ピアノの曲やオーディブルを聴きながらジョギングしていますが、季節によって日の入り方や聴こえてくる虫の音が変わってくるのもまた楽しいです。

 あとは、大きな時間軸に自分を置いてみることですね。さまざまなプロジェクトが並行して走っている中、過去を振り返ってみると、「今、自分が何をやっているのか」を客観的にみることができるんです。「これは西陣織じゃない」と言われても、過去をみると、そんなことはないと自信を持つことができますし、昔の素晴らしい染織に触れてみると、今の染織が必ずしも最良ではないということを実感することもできます。

 過去を振り返った分だけ未来を見渡せると思っているので、ただノスタルジーの回帰だけでなく、そこから未来へ放つ力を探していく作業が重要だと考えています。

昔は「着ること」自体が
薬だったんです

――細尾さんは、MIT(マサチューセッツ工科大学)のディレクターズフェローとして、MITと西陣織の「ホイポイカプセル」(※漫画「ドラゴンボール」に登場する何でも入るカプセル)実現可能性に関する研究や、ZOZO NEXTや東京大学大学院の筧康明准教授の研究室と、新規テキスタイルの開発に関する共同研究を行っています。伝統工芸と最新テクノロジーのバランスについて、意識している点があればお聞かせください。

細尾真孝氏細尾真孝(ほそお・まさたか)
1978年、京都生まれ。1688年から続く西陣織の老舗、細尾12代目。大学卒業後、音楽活動を経て、大手ジュエリーメーカーに入社。退社後、フィレンツェに留学。2008年に細尾入社。西陣織の技術を活用した革新的なテキスタイルを海外に向けて展開。ディオール、シャネル、エルメス、カルティエの店舗やザ・リッツ・カールトンなどの5つ星ホテルに供給するなど、唯一無二のアートテキスタイルとして、世界のトップメゾンから高い支持を受けている。また、デヴィッド・リンチやテレジータ・フェルナンデスらアーティストとのコラボレーションも積極的に行う。2012年より京都の伝統工芸を担う同世代の後継者によるプロジェクト「GO ON」を結成。2021年初の著書『日本の美意識で世界初に挑む』を上梓。MITメディアラボ ディレクターズフェロー、一般社団法人GO ON 代表理事、ポーラ・オルビス ホールディングス 外部技術顧問。 Photo by Itsumi Okayasu

細尾 歴史的にみると、「伝統」というのは同じことをずっとやってきているわけではなくて、それぞれの時代の中で、その時代に合わせて適応していったという背景があります。

 ですから、伝統を続けるということは、その伝統を壊しに行くくらいの気概が必要です。伝統というのはイノベーションの連続なんですね。壊そうと思っても壊せない強さを持っているのも伝統ですし、それをのみ込む器量があるのもまた伝統です。

 バランスをみながらではありますが、基本的には伝統というのは変わり続けますし、挑戦し続けて変化したその先に、時代への適応があるのだと思います。

 ただ、変化といっても、先端的なテクノロジーを取り入れればいいというわけではありません。過去に忘れ去られた技術や考え方にも目を向ける必要があります。

 私たちは京都で「古代染色研究所」という、平安時代の自然染色に関する研究開発を行っています。

 たとえば「服用」という言葉がありますよね。昔は「三薬(さんやく)」というのがあり、「小薬(しょうやく)」は塗り薬、「中薬(ちゅうやく)」は飲み薬、そして「大薬(たいやく)」は衣を身にまとうこととも言われていました。皮膚は重要な臓器のひとつであり、薬物を身体に直接、取り込まなくても、薬草で染めた衣をまとうことでその成分を身体に吸収する。つまり、「着ること」自体が薬だったんです。

 冠位十二階で、一番位の高い人が身につけていた紫は、ニホンムラサキという植物の根を使って色を染めていましたが、ニホンムラサキというのは、漢方の薬でもあるんですね。体によくて、しかもそれが、美しい色を生み出す。美と健康という、今でいう「ウェルネス」を衣服で体現していたともいえます。

 こういった過去の技術や考え方が、今ではほぼなくなりつつあります。ですから、こうしたものをよみがえらせていくこともひとつの挑戦ともいえます。そのためには現代のテクノロジーも役立ちますし、過去の技術と先端技術の両建てで、伝統工芸をよりよくしていくためのポイントを探っていく必要があるんです。

高木 昔から残っているものは、長い年月をかけ、身の周りのもの一つ一つが理にかない、生活とすごく密着していたと思うんです。たとえば藍染めには虫よけなどの効能もあったり、身の回りの植物を身にまとうことで世界と一体になる特別な感覚もあった。

 でも今は、ファストファッションと呼ばれているように、短期間のサイクルで大量に生産、販売し、廃棄される服が主流になっています。なんとなく皆も着ているからとか、安いからとか、さまざまな理由があるのだと思いますが、より豊かな生き方へのヒントは、昔の人が続けてきたことに残っていると感じます。

細尾さんと高木さんPhoto by Itsumi Okayasu

 音楽でもそうかもしれません。自然の中で音楽を奏でると言っても、周囲の自然の音を聞かずに、自分の音楽をスピーカーから最大の音で鳴らすというのは、山の生き物にとっては「本当にうるせえ!」と大迷惑な行為だと思うんです(笑)。

 街を歩いていると、いたるところにエアコンの室外機がありますよね。家の中の人はエアコンのおかげで快適ですが、家の外では騒音がずっと鳴り響いている。何て無遠慮で、迷惑な音なんだろうといつも思うんです。僕も忙しい時はエアコンを使ってしまうので、もちろん自分も含めてですが、誰もそこを意識しないし、変えようとしない。

 どうすれば調和のとれた美しさに毎日、身をおけるのだろうと、いつも考えます。もうちょっとペースを落として、必要性や価値と向き合うことで解決へ進むことって、実はたくさんあると思うんです。

細尾 産業革命以降の工業化によって、安くて便利なものを多くの人に届けられるようになったことは、それはもちろん素晴らしいことです。でも一方で、安さや便利さにのまれて、本来自分たちが価値としていたものが、価値とみなされなくなってしまっているという部分は考えいないといけないと思うんです。