テクノロジーは頼るものではなく
あくまで身体を拡張するためのもの

細尾さんと高木さんPhoto by Itsumi Okayasu

細尾 織物に関しては、もともと再現性があるので、余計そっちに引っ張られそうになるんです。

 変な話、再現したものをちょっとアレンジすると、「新作っぽいもの」ができるのですが、それを禁止するために私たちは「More than Textile」というモットーを掲げているんです。

 新作を無理やり発表するのではなく、新しい発想や新しい観点のものが生まれた時に、新作として発表します。ですから、越えなければならない山が毎回、高くなる。さまざまな研究者やクリエイターと日々、染織における研究開発を行っているのは、山をさらに越えていくためのヒントを必死に探しているんです。

 以前、京都に建設されたあるホテルのプロジェクトで、スイートルームに西陣織のテキスタイルを飾るお仕事をいただいたんです。クライアント側も、これまで僕たちが手がけてきたもののイメージをわかってくださっているので、「こういう感じでお願いします」と発注してくださった。水面の美しさを織物で表現するというもので、おそらくその通りに織って納品すればそれでその仕事は完了すると思うのですが、言われてもいないのに、「水よりも水らしい織物」という、テーマや設定のまったく異なる織物を開発し、提案したんです。

西陣織Photo by Itsumi Okayasu

 それは、これまでと同じものを言われたままにやっていても、そのパターンに陥ってしまって、しばらくはそれでやっていけるかもしれないけれど、いつか必ず、挑戦する意欲とメンタリティーが失われてしまうだろう。誰も驚かなければ顧客からの信頼も失ってしまうかもしれない。そこに恐怖を感じたんです。

 職人さんには無茶を言うなあと思われたはずですし、実際、そのために納品が一カ月延びましたが、当初の要望のものはすでに完成していたので、クライアントさんも理解を示してくださり、結果的に新たに開発した織物のほうが採用されました。

高木 テクノロジーというのは、自然や身体、感覚が生んだものに対し、科学的に再現できるところまでひとつ落としたものの気がしていて。複雑な色が重なり合ってできた赤っぽい色を、数値で表現できる赤へと、だいぶ目の粗いところまで落とすようなもので、僕の場合は、ピアノでたまたま弾いた曲を、ギリギリ楽譜にできるところまで、規則をシンプルにしたものなのかもしれない。

 自然につくられた再現できないものを、ある規則の中へ落とし込むからこそ、ほかの人にも伝えられるし、ほかの人もその規則、テクノロジーを使うことで同じように再現できる。でも大本はもっと複雑で、でたらめで、野生にあふれていて、柔らかくてあったかい。だから、テクノロジーというのは便利だしすごいことには変わりないんだけれど、できれば自分ひとりで音楽を演奏していていいのなら、テクノロジーに頼らず、自分の身体を頼りにでたらめにやっていたいですね(笑)。

細尾 テクノロジーって、身体を拡張するためのものだと思うんです。産業革命以降の自動車の発展もまさにそうですよね。でもそれに頼りすぎてしまうと、もともとの存在を忘れてしまう。人類の営みにも言えることで、地球を制覇したと思っても、自然やエネルギーを搾取した結果、限界点が見え始めている。

高木さんPhoto by Itsumi Okayasu

高木 拡張というキーワードで思い出しましたが、「マージナリア」をやっていておもしろいのは、窓を開けて自然の音を部屋に取り込むと(前編参照)、山で鳴っている音が「自分の音」になってしまうんです。

 たとえば、ピアノの音って、ピアノから出ている音ですが、自分が鳴らすといつの間にか「自分の音」になっている。

 もしこれと同じように考えていいのなら、山の音も風の音も、自分と関わりのあるものだと思えた時点で自分の音になってしまう。自分の体の一部になってしまう。遠くで鳴いている鳥の歌を、同じバンドのメンバーの音だと、自分たちの演奏だと思えると、体がとてつもなく拡張していく気持ちになる。その感覚が本当におもしろいんですね。

 単純にいい音を奏でたいのであれば、ピアノを練習すればよかったり、いいピアノを買えばいいのかもしれません。でも、窓を開けるだけで、それまでの自分にはできなかったことができるようになる。もっと別の音がほしければ、技術をどうするかではなく、新しい鳥が来てくれるようにするにはどうすればいいか、おもしろい音を出す虫が増えてくれるにはどうすればいいか、そっちのほうに発想が変わっていくんです。

 そうなると、どんどん周囲が見えてきて、これまでゴミだらけの海を見ても、自分とは関係ないから、自分には何もできないからと切り離してしまっていた部分も、自分ごととして捉えるようになってくる。

細尾さんと高木さんPhoto by Itsumi Okayasu

細尾 都市がいくらきれいになっていても、しわ寄せが必ずどこかへ行っている。一つ一つの要素だけでなく、全体を見つめて考えざるをえないところまで来ているのが、今だと思います。

 大量廃棄や環境への負荷が世界中で問題となっている今の時代、果たしてこのままでいいのか、どのように工業化と地球環境のバランスを取るべきか、資本主義のありかたも含め、議論だけでなく行動に移さなければいけないタイミングにいよいよ来ているのかもしれません。

高木 ヨーガン・レールさん(ファッションブランド「ヨーガンレール」を立ち上げたデザイナー。日本に移住し、自然との共生を訴え続けた。2014年没)が、生前、石垣島に家を建てられて。広大な森に囲まれていて、自然にあふれているはずだけど、浜辺へ行くとゴミだらけで、せっかくそういうところに住んだのに、毎日、ゴミ拾いをされていたようなんです。

 晩年は、海岸に打ち寄せられた廃品のプラスティックで美しい照明を作り出し、その作品は美術館でも展示されましたが、美しい場所での生活をようやく手に入れたと思っても、結局、逃れることができない。

 自分たちが普段、無意識に行っている行動が、巡り巡って、自分に返ってくることに気づく。いつか美にあふれたところに暮らしてみたいと思っても、世界中にそのような場所はもう残っていないかもしれません。今日、細尾君とギャラリーを巡って、こうして話をしていて、今、何をするべきか、そこはあらためて考えなければいけないと感じました。

高木さんと細尾さんPhoto by Itsumi Okayasu