「あれ?鳥がいない」と気づいても
どうやって戻せばいいのだろう

高木さんPhoto by Itsumi Okayasu

高木 ある日、今まで何十万羽いた鳥が、数千羽になっていて、「あれ?鳥がいない」と気づいた時に、どうやって戻せばいいのだろうと意識が向いても、やり方がわからない。そのような日が来るかもしれません。

 細尾君の話を聞いていて思ったのは、細尾君は経営者としての仕事だけでなく、社会に対してこういうことをやっておきたい、しておかなければいけないという使命感が強いですよね。

細尾 最初は、世の中にない織物を生んで自分たちのマーケットの中で売っていく、そのことに重きを置いていた部分がありました。もちろん、今もクリエイティブな要素というのは非常に重要視していますが、一方で、クリエイティブを通じて、世の中をどのように、自分がより良いと思う方向へ持っていけるか、部分ではなく全体へより解像度を上げて考えるようになってきました。

 細尾は「工芸が時代をつなぐ」というフィロソフィーを掲げています。この哲学で重視していることは、「工芸的生産」と「工芸的消費」です。工芸的な生産というのは、一つ一つの素材を大事にして、素材の良さを生かしながら、究極的にはお客さん一人一人に合わせた最善のものを提供していくことです。

 工芸的な消費というのもあると思っていて、良いものを長く使い続ける。たとえば、土台がしっかりした桶であれば、タガが外れても修復して使い続けることができるわけです。欠けたり割りたりした陶器や磁器を漆(うるし)を使って修復する「金継ぎ」という技法がありますが、金継ぎにいたっては、直すだけでなくより良くしていく。より良くして、また未来につなげていく。

ゴミを出さないことこそが
究極的なサスティナブル

細尾氏Photo by Itsumi Okayasu

細尾 今、SDGsがいわれていますけれど、捨てることを前提に「これが何十%、土にかえります」ではなく、ゴミを出さないことこそが、実は究極的なサスティナブルではないかと思うんです。

 もちろん工業製品においてはリサイクルという観点は必要と思いますが、僕たち工芸に関わる人間としては、いいものを長く使い続けていく、工芸的生産と工芸的消費の循環がうまく回るような、そのようなものづくりをしたい。

 また、したいだけではだめで、実際に利用してくださる人がいて、循環が生まれるわけで、そういった価値観や考え方を世の中に提示し、少しずつ共感の輪を広げていくことが肝要だと考えています。

 僕らのいる京都は、さまざまな文化が密接に関わり合う地域でもあります。自分たち1社だけでアクションを起こせるわけではないので、さまざまな企業や職人、クリエイターで力を合わせながら、ボトムアップで世の中の価値観を変えていかなければならないと考えています。

――高木さんは「SILICOM」の時代から、最新のテクノロジーを活用しつつも、音楽や映像作品には必ず人間味や温かみがあふれているように思えます。テクノロジーという言葉には、どこか人間味とは少し離れた、クールな印象がつきまといますが、高木さん自身は、テクノロジーと感性のバランスというのはどのように意識されているのでしょうか。

高木 僕は、中学と高校の6年間しかピアノを習っていないんですね。幼少時からピアノを習っている人が世の中にたくさんいる中で、僕はすごく駆け足でピアノを学んだんです。

 ですから、音楽の仕事をしていて、コンサートやレコーディングの現場でコードなどの技術的な話になると、細かな話ができないんです(笑)。もちろん勉強すればそれなりにわかるのですが、活用の仕方がわからないので、すぐに忘れてしまうんです。

 僕はどちらかというと、知識として頭で学んだことをアウトプットするのではなく、体の感覚に頼ってアウトプットしている部分があって、一度、頭の中のものを忘れて、体で演奏してみると、それまで自分ができなかったことが急にできたりします。「わあ、いい曲ができた!」って。

 だから普段はもう、よくこれで音楽の仕事ができているなという状態なんですよ。誰かの演奏を見聞きしても、「何でこんなに指が動くの?」「音のつくりかたすごいなあ」とか、毎日へこんでいます(笑)。でも作曲って、集中して5分だけ天才の状態になれればいい。何も考えずに体の感覚に身を任せ、パッと演奏する時の感じが好きなんです。

ミュージシャンが最初に録った
デモって素晴らしいんです

高木さんPhoto by Itsumi Okayasu

高木 自分で好きに弾くぶんにはそれでいいのですが、一方で、音楽の仕事をいただくと、「もう一回、この曲を弾いてほしい」といったリクエストや、「この曲のような強い曲を、もう一曲作ってほしい」といったオファーがきて、どうしても再現性が必要になります。

 音楽の仕事をしている以上、当然といえば当然です。でも、感覚を頼りにしてきた部分があるので、それを整理して再現することは実は非常に難しいんです。

 その、「たまたまできたいいもの」を分解・分析して、楽譜に落とし込んだり、それを再現したりする技術が、テクノロジーと呼ばれるものかなと、話していて思いました。先ほど、細尾君とギャラリーを回っていて、西陣織の再現性の話が出ましたが、織物でいうとテキスタイルの型がそれに近いのではないかと思うんです。

 今、僕は40歳を超えて、子どもができて、自分の仕事への向き合いかたも変わってきました。今まで作ってきた曲は、放ったらかしだったのですが、作った曲を再現できるようにひもといて、楽譜として残し、人に伝えることの興味が湧いてきて、そうした作業を最近、するようになりました。ようやく、細尾君がやっていることの意味が感覚的にわかってきた気がします。

 でも、僕自身の一生においては、楽譜なんか必要ないと思っている部分もやっぱりあるんですね。楽譜に頼らず、ポンとその日にたまたまできた曲をつくっていきたい。もし誰とも関わらなくていいのであれば、ずっと感覚だけで弾いてやっていきたい(笑)。

細尾さんPhoto by Itsumi Okayasu

細尾 メニュー表をつくらずに、本当はその日取れた食材とインスピレーションでつくった料理を提供したい。そういったシェフの感覚に近い(笑)。

 でもたしかにその感覚を共有できる世の中になり、そうした仕事の発注が増えていくと最高ですよね。

高木 ミュージシャンが最初に録ったデモ(音源)って素晴らしいんですよ。すごく柔かくておもしろく、何回聴いていても飽きない。

 でも徐々に曲として完成してくると、固くなってしまう。再現性や汎用性も備わってくるのだけど、同時に、当初の柔軟性が消えていってしまう。解像度が減ってしまうというか、本当はもっと、ちょっとした揺れとか、定型に測れない複雑な要素がいっぱい含まれていたはずなのに、それらが削ぎ落とされてしまう。感性とテクノロジーのバランスというのは、難しいですよね。一歩間違えれば、もとのものとは全然違うものになってしまう可能性があります。

 自分がやるときには、最初の「ぐちゃっ」としていたところを大事にしていたい。そのようにつねづね思ってはいますが、少し気を抜くと、同じ曲を演奏していても、知らずと体が手を抜き出そうとすることがある。もっと柔軟に、もっと複雑に弾いていたいのに、定型化してしまう。

細尾 焼き増しモードになってしまう。

高木 そうそう。そうなるとおもしろくなくなってしまう。