違う価値観に常に触れていられる環境を作れた

一番怖いのは、頭が固まってしまうこと<br />【安藤美冬×本田直之×ジョン・キム】(前編)

本田 僕が大学に入ったのは、1987年でした。当時は、ひとつの学校とか、ひとつの組織に入ると、そこの人たちと付き合うのが、一般的な日本人のスタイルでした。でも、僕は無理にずっと一緒にいる必要もないし、もっと外を見ることが大事だな、と思っていたので、明治大学のサークルにも入っていなかったし、明治の学生とつるんだりすることもほとんどありませんでした。むしろ、他の大学の学生といろんなことをやっていました。

 アルバイトも、僕は一個のことが続けられなかったんですね。子どもの頃から、一つのことを続けられない子どもで(笑)。学校では欠点みたいに言われましたが、幸い親がそこを直そうとしなかったのがありがたかったと今は思っています。だから、アルバイトも、同時にいろんなことをやっていました。
 一つはレストランです。当時、とても流行っていたレストランを経営しているグローバルダイニングという会社が、三宿にZESTという店を新たにつくると聞いて、面白そうだと思って立ち上げのアルバイトに加わりました。これは楽しくて、卒業するまでずっとやっていました。夜から朝まで仕事して、朝6時に終わってからみんなで飲んで帰る。だから当然、学校には行けなかったんですが(笑)

 もうひとつが、女性ファッション雑誌のために読者モデル200人くらいのネットワークをつくり、持っているものを撮影させてもらったり、流行っているものについて取材したり、編集のアシスタントのようなアルバイトをしていました。
 3つめが、ベンチャー企業。大学2年のとき、先輩が渋谷のワンルームマンションの一室で起業したんです。そこから大きくなっていく過程で、いろんなお手伝いをしていました。

 思えば、一つのことに集中しないで三つをやっていたというのは、とても良かったと思っています。就職活動のときにアピールできるとかそんなことではなくて、違う価値観に常に触れていられたからです。飲食業で働いている人たちと、雑誌の編集をしている出版社の人たちと、どうなるかわからないベンチャー企業の人たちでは、働き方も全然違うし、仕事の進め方も違う。働く時間帯も違うし、集まっている人も違う。将来のビジョンも違う。それが、すごく刺激になった。

 それこそ僕自身、違うものを違うところで組み合わせたりすることができていました。例えば、飲食でやっていたことを雑誌の編集のアシスタントに組み合わせてみたり、ベンチャーでやっていたことを、飲食でやってみたり。そうすると、本田って面白いことやるじゃん、って言われるわけですよ。僕はたまたま他でやったことを、こっちの方がいいかなと思って、違う業界で当てはめてみただけなんですが、それが何か、新しいイノベーションとか、クリエイティビティにつながったりした。

 いろんな人を見ていたので、働き方についても、自分はこういう方向が向いてるのかなぁ、こういうふうになりたいなぁと、なんとなくぼんやりとイメージすることができました。一つのことだけずっとやっていると、人間は気づかないうちに頭が固まってしまうんです。一番怖いのは、それだと思うんです。こんなに変化がたくさんある時代ですから。
 変化している中にいろんなチャンスもあるはずなのに、昔と同じやり方でずっとやっていたら、せっかくまわりに転がっているチャンスに気づけない。だから、さっき安藤さんがアルバイトをたくさんしたり、いろんな国に行っていたというのは、とても共感しますし、お勧めしたいことですね。