好評の「媚びない人生」対談シリーズ、今回は『挑戦する脳』を上梓したばかりの茂木健一郎氏と、多くの書店でベストセラーのランキング入りしている『媚びない人生』著者のジョン・キム氏との対談の前編をお届けします。今、2人が伝えたいメッセージとは。(取材・構成/上阪徹 撮影/小原孝博)
優秀さとは何か、日本人は勘違いしている
キム 新著『挑戦する脳』を拝読しました。なぜ今、テーマが挑戦だったんですか。
茂木 人間は生まれると、やがてハイハイしたり、立ったりしますよね。あれは全部、挑戦なんです。そして挑戦をしたら、人間には変化が生まれる。それこそ最初に言葉を発したときの変化に比べたら、そのあとの変化なんて、大したことじゃないんですよ。人間は子どものときから、ずっと挑戦をしている。挑戦する能力は誰にでもあるんです。ところが、日本は挑戦をしない失われた期間がもう20年でしょう。そろそろ目が醒めないと、まずいんじゃないかと思っているんです。
キム 挑戦への信頼が失われてしまっているのではないか、と僕は思うんです。挑戦することによって生まれる新しい経験や、見えてくる景色の変化それ自体が、本来は人間の脳の進化をもたらしてくれる、と茂木さんは書かれていますよね。そもそも未来は不確実ですが、成功失敗の以前に、挑戦は自分自身を成長させられる。その意味では、挑戦はそれ自体で意味があるということをこの本は教えてくれたと思います。
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科特任准教授。韓国生まれ。日本に国費留学。米インディアナ大学博士課程単位取得退学。中央大学博士号取得(総合政策博士)。2004年より、慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構助教授、2009年より現職。英オックスフォード大学客員上席研究員、ドイツ連邦防衛大学研究員(ポスドク)、ハーバード大学法科大学院visiting scholar等を歴任。アジア、アメリカ、ヨーロッパ等、3大陸5ヵ国を渡り歩いた経験から生まれた独自の哲学と生き方論が支持を集める。本書は、著者が家族同様に大切な存在と考えるゼミ生の卒業へのはなむけとして毎年語っている、キムゼミ最終講義『贈る言葉』が原点となっている。この『贈る言葉』とは、将来に対する漠然とした不安を抱くゼミ生達が、今この瞬間から内面的な革命を起こし、人生を支える真の自由を手に入れるための考え方や行動指針を提示したものである。
茂木 挑戦しない脳の典型例は、偏差値入試なんですよ。誰かのお墨付きが、日本人は大好きなんですね。例えばアメリカの入試には、偏差値の概念はないでしょう。市川海老蔵は、僕に日本の教科書を読んだことがないと豪語しますが、ハーバード大学は歌舞伎役者として超一流の彼を合格させると思うんです。でも、日本の東大には彼は入れない。
日本の入試を日本人は公正だとずっと思い込まされてきたわけですが、そもそも人間の能力には、いろんな尖り方があるんですよ。役者として尖っている人と、学者として尖っている人は違う。違う方向に突出している人同士は本来、比べられないんです。つまり、偏差値というひとつのモノサシでは、人間を評価する方法としてはまったく正しくないということです。
なのに偏差値で能力が担保されたり、それがフェアだ、それだけがモノサシだと思い込まされてきた日本人の脳は、いつの間にか、それだけを追いかけて、それ以外は挑戦しない脳になってしまった。規格外のことも受け入れられない脳になってしまったわけです。
日本人は今、優秀さとは何か、努力というのはどういう方向にすべきかということを、勘違いしていますよね。その結果、どんどん国力が落ちてしまった。20年間もの間、デフレ状態も脱せないんですから。
キム 競争や挑戦には2つありますよね。コンテクストの中での競争や挑戦と、コンテクストを超えた競争や挑戦。アメリカと日本の違いは、文脈を超えた挑戦に対する評価基準や評価能力の違いだと思うんです。コンテクストを超えた挑戦を奨励するような風土を、日本では教育も政治もビジネスも作ってこなかった。
茂木 そうなんです。日本人にできないわけではないんですよ。戦国時代にはそれがあった。下剋上の世の中でしたから。それが特に江戸時代以降、コンテクストの中で登り詰めていくことが優秀だという空気が広がってしまった。明治維新のときは一時期、国を作り替える挑戦をするわけですが、結局、欧米に追いつき追い越せというコンテクストを作って、それを戦後も追いかけてしまった。
キムさんは、韓国という文脈から日本という文脈に来て、さらにアメリカ、ヨーロッパといろんな文脈を経験されていますよね。それが世界ではごく普通になっているのが現代なのに、いまだに日本の受験ママ向けの雑誌は、どうすれば東大に入れられるか、ですからね。だから完全に、時代遅れになっちゃってるんです。