円高は「国難」である――。リーマンショックに端を発した超円高時代に為替介入を実施した当事者は、今の「悪い円安」議論をどう見ているのか。特集『「円安」最強説の嘘』の#3では、財務官として2度の為替介入に関わった玉木林太郎国際金融情報センター理事長に、当時の為替介入の舞台裏と、日本が取り組むべきことを聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部副編集長 大矢博之)
万人にとって「悪い」円高・円安はない
なぜ日本はここまで為替相場が好きなのか
――円安が進み、「悪い円安」という言葉まで飛び出しています。
まず、「円高・円安」という言葉を使う際、違う意味で使っていることがあります。その区別はきちんとしなければいけません。
一つは、為替相場が円高になるにせよ、円安になるにせよ、その変動するスピードが速いとき。高騰してすぐに暴落といった、英語では「エラティック(erratic)」と表現しますが、為替相場が不安定になっているという意味での円高・円安です。
もう一つは、絶対値としての円高・円安です。為替相場も結局はモノの値段。そして昔の1ドル100円と、今の1ドル100円は同じものとして議論できません。これは名目ではなく実質実効為替レートで議論しなさいと言っているのではなく、例えば1994年の円高と、それ以降の円高の局面では、数字としては同じ1ドル100円であっても、同じ次元で経済や生活には影響してこないということです。
そして、そもそも「良い」円高・円安か、「悪い」円高・円安かどうかは、いつの時代も人によってそれぞれ。
子どもが海外留学していて現地通貨で学費などを支払っている人や、私のような海外のワイン好きは、「良い円安なんてものはない」と言うかもしれません。また、新型コロナウイルス感染症が収束すれば、海外からのインバウンド客が戻ってくることに期待する人は「円安のどこが悪い」と感じるでしょうし、外貨預金をしている人はしめしめと思うでしょう。
ですから、万人にとって「悪い」円高・円安はありません。経済主体によって、有利になったり不利になったりする。これはどの物価でも同じ。つまり、相対的な価格の変化だということです。
そして、これだけバックグランドとなる経済状況が違うのに、「何年ぶりの円高・円安」という言い方をしますよね。でもね、そんなことを議論している国なんてありませんよ。
例えばユーロも円ほどではありませんが、対ドルで下がっています。だからといって、連日のように、「何年ぶりに1ユーロ何ドル突破」という記事が新聞の一面を飾ったりしません。
日本という国は、為替相場が好きなんですよ。なぜこうなのかが、私の長年の疑問なんです。