気軽に自分の思いを共有・発信しやすいというメリットがある一方、見たくもない他人の華やかな人生が無遠慮に流れ込んでくる現代のSNSの仕組みに、息苦しさを覚えている人も多いはずだ。日本だけに限らず海外でも、SNSで着飾った自分を表現することに明け暮れ、「自分の居場所を見つけなければ」というプレッシャーから病んでしまう人が増殖しているという。「承認欲求とどう向き合うか」といった諸問題は、現代病の一つとも言えるのかもしれない。
そんな、自分自身の承認欲求に振り回され、不安や劣等感から逃れられないという人にぜひ読んでもらいたいのが、エッセイ本『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)だ。著者の川代紗生さんは、本書で承認欲求との8年に及ぶ闘いを、12万字に渡って綴っている。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察した当エッセイの発売を記念し、今回は、未収録エッセイの一部を抜粋・編集して紹介する。

ウユニ塩湖に行ったからって、世界は何も変わらないPhoto: Adobe Stock

大学生はなぜウユニ塩湖に行きたがるのか?

大学二年の時、ウユニ塩湖に旅行に行った。

そう、大学生みんなが憧れ、もはやリア充の象徴ともいえる場所、ウユニ塩湖である。しかも私は彼氏と二人で行ったので、それはそれはもう友人みんなに羨ましがられた。

「なにそれー! うらやましいー!」

そうキャーッと騒いでもらった私は鼻高々であった。おそらく私が大学生の時にした行動のなかでは、最も世間一般的に「青春」「リア充」と認識されるものだったと思う。

しかし、そもそもなぜウユニ塩湖に行くことが大学生の憧れになっているのだろうか? 世界にはいろいろな場所がある。ニューヨークやパリやローマで映画や文学に出てきた街を巡るのもいい。東南アジアで遺跡をたくさん見るのもいい。アフリカで自然に触れるのもいい。世界は広いし、魅力的な場所がいくつもある。それなのに、「卒業するまでにどこに行きたいか」と聞かれ、ウユニ塩湖と答える学生が多いのはなぜなのだろう?

私が思うに、理由は四つある。

第一に、余裕がある大学生のうちに行きたいと考えるから。南米・ボリビアという、時間とお金がかかり、行くのが非常に難しい場所にあるためレア感があるのだ。

第二に「死ぬ前に一度は見たい絶景」だとか「世界絶景ランキング」だとかには必ずと言っていいほどカウントされるくらい、雨季のウユニ塩湖の「鏡張り」がとても綺麗で、まるで空のなかに浮かんでいるような幻想的な光景が見られるから。

第三に、とても写真映えするから。ウユニ塩湖に行ったよということをSNSなどにアップした時に「すげー!」とか「いいなー」とか言ってもらえやすい。それこそいいね! が集まりやすいのだ。

そして最後、第四に、これが一番重要なのだが、説明する前に、私がウユニ塩湖に行った時の話をしよう。