たった一つ残された「南米旅行」のフォルダ

そのフォルダを久しぶりに開けたのは、大学を卒業する前のことだった。

感傷に浸りながら、パソコンのデータを整理し、フェイスブックの写真をざっと見ていった。サークルの写真、留学していた時の写真、旅行した時の写真、飲み会の写真……。あっという間のようで、案外さまざまな経験をしたのだと思うと、感慨深いものである。

懐かしい。楽しかったなあ。

大学は「人生の夏休み期間」とはよく言ったもので、本当に、長い長い間、私は遊び呆けていたような気がする。はちゃめちゃなこともやった。気が狂いそうなこともあった。もう誰にも会いたくないと思う時もあったし、誰でもいいからそばにいてほしいと思う時もあった。楽しいことも苦しいことも、退屈なこともたくさんあった。

けれどそうやって、さまざまな感情や、無駄な時間を経て私たちは大人になっていくのだ、きっと。

そんなことを考えながらパソコンの整理をする。ずっと開いてこなかったけれど、でもなんとなく捨てることができない写真が、データから出てきた。

「南米旅行」

そう名付けられたフォルダのなかには、デジカメで撮った写真がたくさん入っているはずだった。失恋して以来、もう二度と見たくないと思っていた彼の写真が残っているはずだ。あの、ウユニ塩湖で撮った写真も。

彼に振られたその日、私はスマホに入っていたすべての写真を捨てた。動画も捨てた。彼にもらったものも捨てたし、LINEの履歴もすべて消去した。彼を連想させるものはすべて消し去った。もう二度と思い出したくないくらい私は傷ついていたから。

でもどうしても南米の写真は捨てる気になれなかった。もしかしたら、いつか彼との写真を見られるようになる日が来るかもしれない。もしかしたら、もう二度と南米には行けないかもしれない。そんな迷いが、私を止まらせた。だから私はその写真を一つのフォルダにこっそりと保存しておいたのだ。いつか見返したくなるかもしれない日のために。

そしてその日は、二年後にやってきた。私は恐る恐るフォルダを開き、写真を見る。懐かしい彼の顔があった。自分の心がほとんどざわついていないことに私はほっとした。彼も私もとても楽しそうだった。二人で笑って、バカみたいなポーズを取っていた。フェデリコが撮ってくれた写真もたくさんあった。

ああ、懐かしい。

楽しかった。ウユニはとても綺麗だった。感動した。こんなに綺麗な場所があるのかと私は思った。

でも……。

私はあの時抱いた違和感を二年ぶりに思い出した。何かが違う。何かが、思ってたのと、違う。期待していたものが手に入らなかったような、気持ち悪さ。

ああ、そうだ。思い出した。

ウユニの絶景に、私はたしかに感動した。

でも、ぶっちゃけてしまえば、それだけだったのだ。

感動したのは事実だ。今までに見たことのないような幻想的な風景。キラキラした湖。異世界に飛び込んだような感覚。

わあ、すごい、綺麗、楽しい、来てよかった。

でも、それだけだった。本当にそれだけ。それ以上でもそれ以下でもなかった。

そうだ。そうだよ。

あの時の違和感は、何か心にひっかかるものがあったのは何だったんだろうと、疑問だった。

何かが思っていたのと違う。何かが期待外れだった。それが何なのか、二年経ってやっと、理解した。同時に、多くの大学生がウユニ塩湖に憧れる理由も。

第四の理由は、「ウユニ塩湖に行けば世界が変わるかもしれないと、期待しているから」だ。

私はウユニ塩湖に、その絶景に、自分の世界をまるっと変えてもらおうと思っていたのだ。その絶景ゆえの、あまりの衝撃によって、自分の価値観か何かが、一気に変化することを期待していた。

だってウユニ塩湖に行ったという本やガイドには、「人生観が変わった」とか「ものの見方が変わった」とか、そんな風にたくさん書かれていたのだ。遠い遠い、絶景と呼ばれる場所に行ってきた友人の多くは、「世界が変わった」と言っていた。その状況が他の大学生みんなに起こるのに、自分にどうして起こらない?

そう思っていた。ウユニ塩湖という、世界の果てみたいな、奇跡みたいな光景を見た衝撃で頭がガツーンと殴られたみたいになって、そのままごっそりと自分の価値観が変わるに違いないと思っていたのだ。そして自分はウユニに行くことによって、自然か何かわかんないけど、何らかのエネルギーを吸収して、今よりも成長した自分に、今よりも価値のある自分になれるんじゃないかと期待していた。ほら、すぐにスピリチュアルに頼る。悪い癖だ。

でもそんなことは起こらなかった。絶景は、ただ絶景というだけだった。たしかにウユニは驚くほど綺麗だった。でもだからといって自分の世界が変わるわけじゃない。別にウユニに行ったからって、私が突然ものすごく性格のいい人間になるわけでもなかった。世界の美しさに感動して、この綺麗な世界のために何か行動しなくちゃいけないと、モチベーションを高められたわけでもなかった。もちろん行った直後はやる気も出ていたが、それもすぐに収まった。そんなものだ。

世界は簡単には変わらない。価値観がまるっと変化する瞬間なんて、そう都合よく訪れてくれない。人生はそこまで甘くない。よく考えればわかることだ。留学したって根本的な人間性は変わらなかったのだ。ましてやたかが一回旅行に行ったくらいで価値観や人生観が変わるわけがない。

もちろんこれは私のケースで、本当にウユニの絶景に衝撃を受けて世界が変わった人もいるだろう。でも今回の私の場合は、世界一周とかならまだしも、たった十日間の、一回の旅行だ。イレギュラーなことが起きたわけでもない、ただの平和な海外旅行なのだ。それだけで頑固な私の何が変わると言うのだろう? 行ったその時はたしかに「自分の悩みは、なんてちっぽけだったんだろう」と実感した。でもその時はその時だ。帰国したらまたすぐに新しい悩みが次から次へと見つかったし、ウユニに行ったからって自分ができる人間になったわけでも、魅力的な人間になったわけでもない。

「大学生でいる」という状況は、はたから見れば楽しいことだらけに見えるが、案外、苦しいこともたくさんある。心の奥底でいつも寂しさや孤独感や焦りがぐつぐつと渦巻いている。とても不安定で、将来のことや人生のことで悩みがつきない。コンプレックスが溢れ出てくる。自分のアイデンティティについてもひたすら考える。自分は何のために生まれてきたんだろう、何のために頑張ればいいんだろう。自分は何がやりたいんだろう。いつもどこにいるかわからない、とっちらかった「自分」を一生懸命探して、もがいている。なんでもいいからモヤモヤした自分の感情を消化してくれる存在を常に探している。

そういう状況下の私にとって、ウユニ塩湖というのは好都合だったのだ。世界一の絶景、見たら人生観が変わる、悩みなんか吹き飛ぶ。多くの人はそう言う。「これで今日から自分は幸せになれる」、そう思い込むための切り替えスイッチみたいなものだったのだ。

本当はただ、きっかけを待っているだけなのだ。自分が変われるきっかけを。それを期待して、ウユニ塩湖に行きたいと思っていた。

そうか、だから私はモヤモヤしていたんだ、とようやく納得が行った。ウユニはたしかに綺麗だったけれど、ガツーンという衝撃もなかった。あまりに綺麗すぎて自分の感情やら信念やらが何から何までひっくりかえるなんてこともなかった。綺麗なだけ。世の中にはたしかに絶景を見て世界観が変わる人もいるのかもしれない。でも私は違った。私は絶景を見て世界が変わるタイプの人間ではなかった。それだけだ。別に何も変わらないし、ウユニの空気を吸い取ったからといって自分が大きく成長できたわけでもない。それが期待外れだったのだ。