地方の“創業100年企業”で、なぜ、外国人が生き生きと働き続けるのか?

現在、日本では約170万人の外国人が働いている*1 。街なかの店舗、建築現場、工場、企業のオフィス……外国人の就労がダイバーシティ社会をかたちづくり、企業経営者や管理職には、その適切なマネジメントが必要とされている。多人数の外国人の雇用で躍進している老舗企業が山形県の山形市内にある――スズキハイテック株式会社。「新・ダイバーシティ経営企業100選」(令和2年度・経済産業省)にも選ばれた同社は、どのように外国人の従業員に向き合っているのか。「HRオンライン」が現地を取材し、代表取締役の鈴木一徳さん(5代目社長)に話を聞いた。(ダイヤモンド社 人材開発編集部、撮影/HRオンライン)

*1 厚生労働省 「外国人雇用状況」の届出状況まとめ(令和3年10月末現在)より

ボリビアと中国出身の元留学生から雇用をスタート

 2022年に創業108年目となるスズキハイテック株式会社*2 (以下、スズキハイテック)――山形市内で、表面処理技術のめっき加工を事業ドメインにしている同社の外国人雇用は、海外進出をきっかけに始めたものだという。

*2 スズキハイテック株式会社 所在地:山形県山形市銅町2-2-30、業種:表面処理業、創業:1914年(大正3年)、代表者:鈴木一徳(代表取締役)

鈴木 海外での事業展開として、当社は、2012年に中国の企業と技術提携し、2014年にメキシコに工場を造りました。ご存じのとおり、メキシコはスペイン語圏ですが、当時は、日系企業がさかんに進出していたこともあって、通訳者不足で、スペイン語を話せる日本人を探すことが困難でした。そして、考えあぐねた結果、「スペイン語圏の人で日本語を話せる外国人がよいのでは?」と――つまり、「スペイン語を話せる日本人ではなく、日本語を話せるスペイン語圏の人を探そう」と。ちょうど、山形大学の工学部に在籍するボリビア出身の留学生が県内の私の知り合いの会社でインターンシップをしていました。そこで、社長さんからその方をご紹介いただき、大学の就職担当者と一緒にお会いして、「将来、あなたをメキシコに派遣したいので採用したい」と伝えました。もともと、ご本人もボリビアにいたときは化学のエンジニアだったので、当社の事業内容にマッチしており、2015年の10月に入社いただきました。また、ちょうどその頃、山形県内の外国人留学生を対象にした企業説明会があって、当社も参加してみたところ、「私は山形大学で学んでいますが、採用してもらえませんか?」という、中国人の留学生に出会いました。

 そうした経緯で、2015年に、ボリビアと中国出身の留学生が入社し、当社の外国人雇用*3 がスタートしたのです。

*3 スズキハイテックの外国人従業員(元留学生)の在留資格は「技人国(技術・人文知識・国際業務)」(2022年4月現在)。

 創業以来、顧客からの受注をもとに生産を行っていたスズキハイテックだったが、外的環境の変化で業績が頭打ちとなった。そのため、外国人人材を迎え入れることで新たな風を起こし、受託一辺倒だったビジネスモデルの転換を諮る必要があったと、鈴木さんは述懐する。

鈴木 2006年に25億円あった売り上げが、リーマンショックや東日本大震災の影響もあって、私が社長に就任した2015年の創業101年目には経営数字が大幅にダウンしていました。それまでの受注型から開発主導型に転換しなければ、会社が回復する活路はなく、事業の転換には従業員たちのマインドチェンジが必須でした。受注に頼るのではなく、商品を開発し、自ら営業に行くこと――そのマインドチェンジとアクションのきっかけになったのが外国人の雇用だったのです。事業規模を縮小する選択肢もありましたが、スズキハイテックの次の100年を考えたときに、外国人の方たちと仕事をすることで当社の気風を変えたかった。仲間に加わった中国とボリビア出身の二人は至ってポジティブなマインドで、先輩従業員である日本人と開発案件を推進していったのです。

地方の“創業100年企業”で、なぜ、外国人が生き生きと働き続けるのか?

鈴木一徳  kazunori SUZUKI

スズキハイテック株式会社 代表取締役

1975年、山形県山形市出身。東京理科大学工学部工業化学科卒。神奈川県横浜市にある、めっき業の別会社勤務を経て、1997年4月にスズキハイテック株式会社に入社。その後、一度退社し、大手企業でマネジメントなどを学び、2000年7月に再び同社に入社した。取締役技術部長、常務、副社長を務め、2015年8月に代表取締役(5代目社長)に就任した。

 二人の留学生が入社した2015年以降、スズキハイテックの外国人登用はとんとん拍子に進んでいったのだろうか?

鈴木 まずは、最初の外国人従業員である二人を一人前に育てることに注力しました。外国人の採用と育成は当社にとって初めてのことだったので、二人が独り立ちしたら、次の外国人を採用しようと考えました。そうして、2年半後の2018年4月に、新たに3名の外国人が入社しました。ネパールの方2名とインドネシアの方1名。そして、当初の予定どおり、一期生となったボリビア人の従業員をメキシコに派遣し、中国人の従業員は本社に在籍したまま、中国向けビジネスの窓口になりました。二人とも立派に独り立ちしたわけです。新たな外国人3名が当社に加わり、商品をさらに開発していくことで、ポジティブなマインドが日本人従業員の間にも拡がっていきました。チャレンジする、成功する、商品化する、営業する、売り上げが伸びるというサイクルが回り出すと、「あっ、そういうことか……」と、みんなの理解が生まれ、会社全体の雰囲気が変化していったのです。