小宮山に言わせれば、早稲田の選手たちは「まるでフィギュアスケートの試合のように、きれいなフォームで打とうとしている」。特にランナーが塁にいるとき、進塁させるバッティングができていない。たとえ結果が凡打だったとしても、一塁にいるランナーを、なんとか二塁へ進めるという意識。自分の次のバッターが打席に立つときに、どういう状況になれば攻撃としてベターなのか。その意識が希薄なのだと。
その訓話の後に組まれた社会人チームとのオープン戦にも顕著な場面があった。早稲田は1アウト・ランナー三塁のチャンスに、右打席に入ったバッターは痛烈なショートゴロ。三塁ランナーは一歩も動けなかった。
「本人にとっては会心の当たり。抜けていればタイムリーヒットだから、運が悪かったと思ってしまう。そうじゃない。三塁にいるランナーをかえすために、ボテボテの二塁ゴロを打ってほしい場面だった。その意識が強ければ、結果は違ったものになる」
打球が外野へ抜けるかどうかは運不運もあるだろう。しかし偶然に頼って勝てるほど、野球は甘くない、と小宮山は言う。チームのために体勢を崩してでもボールに食らいつく。いわば、きれいなスイングを捨てる我慢ができるかどうか。
小宮山流「我慢」の哲学
監督があえて動かなかった理由とは
我慢。
投手陣に関して、小宮山がじっと我慢する場面があった。
立教との1回戦。球場は雨上がりのせいで蒸し暑かった。しかし回を重ねるごとに初夏の爽やかな風が流れてくる。6回まで0‐0。両軍投手のピッチングが小気味よく、締まった展開となった。
7回表、立教の攻撃。ここで均衡が破れた。
好投を続けてきた早稲田先発・加藤孝太郎がいきなり二塁打を打たれる。その後に自らの守備のミスもあり、1点を失い、なおもノーアウト一・二塁のピンチとなった。
このときである。小宮山の胸は葛藤に揺れていた。