消化試合でも早慶戦は特別
早大野球部の真価が問われる

 この春の早慶戦はいわば消化試合。しかしこういう試合にこそ、早稲田の野球部員の真価が問われる。

 早慶戦について、小宮山は自著にこう記している。

「早稲田大学野球部にとって、早慶戦に勝つことは、リーグ戦に勝つことよりも大きなことです。それは『伝統』というより、『われわれの存在意義』に関わってくることだと、私は考えています。早稲田の先輩たちが紡いできてくれた長く誇らしい歴史を踏まえた上で、われわれは慶応に勝たなければならない。なぜか。その理由は、口では簡単に教えられるものではありません。学生自身が早稲田大学野球部で育っていく中で感じ取り、全員一丸となって最終戦に臨まなければなりません」(『令和の「一球入魂」』)

 早慶戦といえば、やはり1960年秋の「伝説の早慶六連戦」である。優勝決定戦の再々試合で死闘の末に早稲田が勝ち切った。

 早慶戦に臨む早稲田の練習は今でも語り継がれている。

 前カードの明治戦に大敗した当時の早稲田の部員たちは、神宮から戸塚の安部球場に戻ると、日が傾いている中でボール回しを始めた。

 当時のグラウンドに照明はなく、白球は宵闇に紛れてしまう。見えないならば走って手渡しすればいい。本塁への送球練習では、内野手も外野手も捕ったボールを握りしめて声を掛け合い、全力疾走でホームベースの捕手に届けた。6連戦で早稲田のピンチを何度も救ったのは堅く冷静な守備力だった。

 小宮山も学生時代、今の安部球場で同様の場面を経験している。当時の石井連藏監督の夕闇ノックである。石井はボールに石灰を付けてノックする。しかし部員には打球が見えない。「下からのぞき込んで、空を背景にすれば捕れる!」と石井監督は部員を叱咤する。小宮山ら投手陣はその様子をファウルグラウンドからじっと見守っていた。

 ある80代の早稲田野球部OBはしみじみと言った。

「消化試合になっても早慶戦は特別。いつだって緊張感のある試合になる。そのことに(部員は)感謝しなければ。そしてどういうわけか、弱い(順位の低い)ほうが勝つことが多いんだ」

 虚心に早慶戦を楽しむこととしよう。

(敬称略)

小宮山悟(こみやま・さとる)
1965年千葉県生まれ。早大4年時には79代主将。90年ドラフト1位でロッテ入団。横浜を経て02年にはニューヨーク・メッツでプレーし、千葉ロッテに復帰して09年引退。野球評論家として活躍する一方で12年より3年間、早大特別コーチを務める。2019年、早大第20代監督就任。