コロナ禍で人間関係の在り方に変化が生じる中で、危機を乗り切る強い絆はどう生まれるのか。特集『慶應三田会vs早稲田稲門会』の番外編では、三田会の結束力の強さの秘密について、慶應出身の永野毅・東京海上ホールディングス会長に聞いた。(ダイヤモンド編集部 中村正毅)
高校から大学まで7年間
慶應で遠泳に打ち込んだ
――永野さんは高知県のご出身だと聞いています。まずは慶應との縁について教えてください。
私は中学生のときまでは高知県にいて、親の事情で東京に移ることになりました。そのときに真っ先に合格をもらったのが、慶應義塾高校だったんですよ。12歳年の離れた私の兄は慶應義塾大学の出身。憧れというか、そうした縁もあって慶應に入学することに決めました。
子供のころは目の前に川があって、その川でずっと泳いだりボートをこいだりしていました。高校でも自分の得意なことをやろうと水泳部の門をたたいたら、先輩が待ち受けていて「君はうちにぜひ入れ」と。しかも学校がある日吉の駅前に、50メートルのプールがあったんですよ。飛び込み台もあって。高校時代はそこでもうひたすらに練習していました。
しばらくして、(千葉県)館山市の海で合宿がありました。そのときに初めて、自分が入部したのは競泳ではなくて、海洋遠泳をやるクラブだったというのが分かったんです。これが結構面白くて。さんさんと輝く太陽の下で、毎日ひたすら陸から島へ、長いときは40キロメートルとか泳ぐわけですよね。