コロナ禍で働き方や生き方を見直す人が増えている。企業も戦略の変更やアップデートが求められる中、コロナ前に発売され「アフターコロナ」の価値転換を予言した本として話題になっているのが、山口周氏の『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』だ。
本書を読んだ人から「モヤモヤが晴れた!」「今何が起きているかよくわかった!」「生きる指針になった!」という声が続々集まり、私たちがこの先進むべき方向を指し示す「希望の書」として再び注目を集めている。
そこで本記事では、本書より一部を抜粋・再構成し、アメリカと日本で大きく異なるリーダーシップのあり方についてご紹介する。

【山口周・特別講義】<br />『ジョーズ』『ダイ・ハード』田舎刑事が最後に解決する「意外な意味」Photo: Adobe Stock

パニック映画が教える各国の行動特性

 パニック映画にはさまざまな傑作がありますが、非常に興味深いことに、それらのすべては「未曾有の大問題が起き、それが解決される」というプロットで共通しています。

 つまり「こんなとき、あなたならどうしますか?」という思考実験が壮大な映像になっているわけですから、必然的に各国のパニック映画には、その国ならではの「問題に向き合うエートス=行動特性」が表れることになります。

山口周山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー
電通、BCGなどで戦略策定、文化政策、組織開発等に従事。著書に『ニュータイプの時代』『ビジネスの未来』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。株式会社中川政七商店社外取締役、株式会社モバイルファクトリー社外取締役。

アメリカ映画に現れる権力へ批判性

 たとえば、アメリカのパニック映画を見てみると、未曾有の問題が発生した際に、それに対してリーダーシップを発揮するのは中央=コアにいる人ではなく、周辺=フリンジにいる人が多い。

 たとえばスティーブン・スピルバーグの出世作である『ジョーズ』では、最終的にジョーズを退治するのは街の権力者ではなく田舎刑事ですし、『ダイ・ハード』でも、テロ撃退のために呼ばれたFBIの対テロ専門部隊は無能ぶりを発揮するだけで、事件を解決するのはこれまた田舎刑事です。

 ある意味ではワンパターンとも言えるわけですが、つまり、どれも「未曾有の大事件が起きるが、力を発揮するべきコアが無能なため、フリンジが立ち上がって事件を解決する」というのが共通するプロットの骨子となっているわけです。

 このプロットには「コアに依存するな、権力を持たないオマエが自分から動け」という一種の批判性があるわけですね。

日本映画に現れる「お上」のリーダーシップ

 しかし日本ではこのプロットが真逆になります。たとえば日本のパニック映画と言えばまずは『ゴジラ』ということになりますが、ゴジラを退治する芹沢博士は政府筋から依頼を受けて出動するわけで、コアとリーダーシップが直接接続される構造が見られます。

 他にも、たとえば小松左京の『日本沈没』では大地震の到来を予言した物理学者と日本政府がタッグを組んで国民を救うというシナリオになっていて、やはりここでも「リーダー」と「コア」は屈折せずに一直線につながっている構造になっています。

 つまり、日本のパニック映画では、「お上」はいつも正しく、パワーがあり、困ったときには助けてくれる存在として描かれている、ということです。

 厳密にはパニック映画ではありませんが、1960年代からなんと50年以上にもわたってテレビ放映され続けている『水戸黄門』なども、そのような「困ったときには偉くて立派な人が助けてくれる」という心性が投影された物語だといえます。

日本では反権力のリーダーシップは生まれにくい

 私たち日本人は明治維新の際、近代市民社会の理想を掲げて身分差別制度を撤廃したわけですが、それから150年以上を経たにもかかわらず、いまだに権力の象徴である「三葉葵の印籠」に一般市民が土下座するような映像を見てはしゃいでいるわけです。

『ゴジラ』をはじめとした日本のパニック映画に見られるハリウッド映画との構造的な差異は、日本をはじめとした権力格差指標の高い文化圏では、権力と対峙するかたちでのリーダーシップが生まれにくいということを示唆しています。

 我々日本人は「権威」と「リーダーシップ」を一体のものとして認識してしまうという奇妙な性癖を持っています。

 しかし、蓄積した経験や知識が急速に減損する「VUCA化する世界」にあって、このオールドタイプの思考様式を維持し続ければ、私たちの組織は滅亡への行軍を繰り返すことになりかねません。

リーダーシップは本来「権威」から生まれない

 そもそもリーダーシップは本来、権威によって生まれるものではありません。それは問題意識によって生まれるものです。

 日本企業の組織診断を行っていると「自分には権限がないので」ということを口にする中間管理職がよくいるのですが、ではその人は権限を手に入れたら何かを始めるのでしょうか? 筆者はそうは思いません。今日、自分の判断で動き出さない人は、明日、権力を手に入れたとしてもやはり動き出さないでしょう。

 先述したように、ハリウッド映画でリーダーシップを発揮することになる登場人物は大きな権限を持っていない組織の下層に位置する人たちでした。この人たちは、自らの権限を超え、問題意識や危機意識に突き動かされて、止むに止まれず、どうしようもなくなってリーダーシップを発揮してしまうわけです。

 しかし、考えてみれば、これは過去の歴史において偉大なリーダーシップを発揮した人々、たとえばイエス・キリストやマーティン・ルーサー・キングJr、マハトマ・ガンジーなどを見ても同じです。

 彼らは組織の中で権威を持つ地位にあった人々ではありません。ただ、自らの問題意識に基づいて世界に向けて耳を澄まし、目をこらし、手を差し伸べ続けたのです。これこそが今後求められる、ニュータイプの思考・行動様式と言えます。

(本稿は、『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』より一部を抜粋・再構成したものです)