コロナ禍で働き方や生き方を見直す人が増えている。企業も戦略の変更やアップデートが求められる中、コロナ前に発売され「アフターコロナ」の価値転換を予言した本として話題になっているのが、山口周氏の『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』だ。
本書を読んだ人から「モヤモヤが晴れた!」「今何が起きているかよくわかった!」「生きる指針になった!」という声が続々集まり、私たちがこの先進むべき方向を指し示す「希望の書」として再び注目を集めている。
そこで本記事では、本書より一部を抜粋・再構成し、一億総学び社会となった今、知識や経験のアップデートのヒントをご紹介する。
「経験」が役立たない時代へ
これまで、私たちは「経験量の多寡」を、その人物の優秀さを定義する重要な尺度として用いてきました。しかし、これからは「経験量の多寡」が、そのまま有能さを表す指標にはならない時代がやってきます。
近い将来、「豊富な経験を持ち、その経験に頼ろうとする人材」はオールドタイプとして価値を失っていく一方で、「経験に頼らず、新しい状況から学習する」人材がニュータイプとして高く評価されることになるでしょう。
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー
電通、BCGなどで戦略策定、文化政策、組織開発等に従事。著書に『ニュータイプの時代』『ビジネスの未来』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。株式会社中川政七商店社外取締役、株式会社モバイルファクトリー社外取締役。
なぜそんなことが起きうるのでしょうか? 環境変化によって経験の価値がリセットされてしまうからです。
経験によってある個人のパフォーマンスが高まるのは、経験によってその人のパターン認識能力が高まるからです。しかし、環境変化が速くなると、このようなパターン認識の能力は、価値を減殺させることになります。
いや、価値を減殺させるどころか、むしろ足かせのように、個人の状況への適応力を破壊することにもなりかねません。
「学ぶ」上で最も大切なこととは?
経験の価値があっという間に減殺されるという時代において、経験に置換される重要な人材要件となるのが学習機敏性=ラーニングアジリティです。
最近では組織開発や人材育成の場においてラーニングアジリティが重要な論点として取り上げられることが増えてきたように思いますが、議論を横で聞いていると概念が混乱して用いられているケースがままあるように思います。
ラーニングアジリティはもちろん「学習」に関する概念ですが、単に「学習が速い」という要件以上のものを含んでいます。それは何かというと「リセットできる」ということです。
経験がその人のパフォーマンスを高めるのは、学習によってパターン認識の能力が高まるからだ、ということは先ほど指摘しました。ラーニングアジリティというのは、単に「速く学習する」ということではなく、すでに学習して身につけたパターンを一旦リセットできる、ということなのです。
新しいことを「覚える」には
古いことを「捨て」なければならない
ここが非常にトリッキーなところで「ラーニング=学習」と聞けば、私たちはすぐに「何かを覚える」ことだと考えてしまいがちですが、ラーニングアジリティには「何かを忘れる」という要件が大きく含まれています。
新しい何かを学習するためには、その対象と何らかの齟齬やコンフリクトを起こす古い何かを捨てなければなりません。しかし、人間にはこれがなかなかできないのです。なぜかというと学習にはストレスという投資が伴うからです。
学習のプロセスは「具体的経験」から始まります。失敗にせよ成功にせよ、何らかの具体的エピソードがあって初めて学習のプロセスが起動されることになる。自転車に転ばずに乗れるようになった人はいませんし、転ばずにスキーをマスターした人もいません。
つまり、学習の多くは「失敗」という体験に基づいているということであり、多くの人は、失敗=ストレスという代償を支払った末にパターン認識という能力を獲得しているのです。
ここに「リセット」の難しさが潜んでいます。
なぜ、経験のリセットは難しいのか?
1つ目が、少なくない代償を支払って獲得したパターン認識を手放したくないという心理圧力、いわゆる「埋没コストのバイアス」がかかる、という点です。
埋没コストというのは、すでに支払ってしまい、この後どのように意思決定しても取り返せないコストのことです。どうやっても取り返せないのですから、この後最も利得の大きい判断をすればいいだけなのですが、多くの人はそのように判断できず、代償を支払ったものを維持し続けようとしてしまいます。
2つ目が、同じストレスを味わいたくない、という回避衝動が働くという点です。失敗を繰り返してパターン認識を獲得した人に対して「そのパターンはもう役に立たないよ」と伝えてもなかなか書き換えができません。なぜなら、同じ失敗をしてしまうのではないかという恐れがあるからです。
たとえばPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、そのような「書き換え」の難しさを示す疾病と言えます。PTSDというのは、命に関わるような危険で悲惨な出来事を体験したり目撃したりしたのちに、フラッシュバックや悪夢にうなされる症状を指す疾病ですが、これは一種の学習障害と考えることができます。
過去の悲惨な思い出が拭えないというのは、すでに安全な状況になっているにもかかわらず「もう安全だ」という再学習が阻害されている状況だと考えられるからです。
過去の経験と知識によって、敗者となる
このように考えてみると、なぜ既存企業が新興産業の多くでパフォーマンスを発揮できていないかがよくわかると思います。大きな環境変化が起こる際に、それまでの経験が無価値になるどころか、かえって意思決定や行動のクオリティを極めて劣弱なものにするという現象は、特にデジタル世界において多く見られる現象です。
GAFAと総称されるデジタル世界の覇者、すなわちGoogle、Amazon、Facebook、Appleのことを考えてみれば、彼らが事業を開始した時点では、むしろ「経験量の少ない新参者」であったことを忘れてはなりません。
検索エンジンについては数多くの先行事業者がありましたし、書籍を販売している事業者も、携帯電話を製造している事業者も、たくさん存在していました。
ところが、それらの先行事業者、つまりGAFAよりもはるかに経験量を積み重ねていた事業者のほとんどは、大きなデジタルシフトを乗り越えることができず、歴史の泡と消えていくことになりました。
経験も知識も人材も豊富に有していたはずのそれらの先行事業者は、なぜ勝者となれなかったのでしょうか? 理由は実にシンプルで、まさに彼らが蓄積していた経験と知識によって、彼らは敗者となったのです。
このような時代にあって、過去の経験と知識に基づいて目の前の世界を理解しようとするオールドタイプは急速に価値を減殺させる一方で、目の前の状況を虚心坦懐に観察し、ラーニングアジリティを発揮して、過去に蓄積した経験と知識をアップデートし続けるニュータイプが大きな価値を創出することになるでしょう。
(本稿は、『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』より一部を抜粋・再構成したものです)