単なる「お友達」ではない
信念と突破力を持つ側近たち

 第1次政権を評価できる最大の要因は、「お友達内閣」の人選に、優秀かつ信念を持ったメンバーが含まれていたことである。例えば、第1次政権で安倍氏の側近だった塩崎恭久元官房長官だ。

 塩崎氏は政界で「英語をしゃべる橋龍」という異名を持つ。英語に堪能であることと、故・橋本龍太郎元首相と同じく、官僚に厳しいことをかけたネーミングだ。

 塩崎氏はかつて「政策新人類」と呼ばれた改革派で、族議員・派閥との関係も融和的ではなかった。そのため、塩崎氏の調整力不足が、政権運営を混乱させたと批判された。

 だが、塩崎氏らは、政策実現には強いこだわりを持っていた。「争点隠し」をして逃げることもなかった。野党と非妥協的な姿勢を貫いての「強行採決」は国会を混乱させたが、前述のような多くの政策を実現させたのも事実だ。

 また、日本政治においてタブーとされる政治課題にも果敢に挑んだ。その代表例は、歴代自民党政権が成し遂げられなかった「教育基本法改正」である。

「郷土や国を愛する心」「日本の伝統と文化の尊重」などを盛り込んだ改正案は、日本教職員組合(日教組)が強く抵抗し、署名運動やデモを展開したが、塩崎氏たちは反対を押し切った。

「お友達」とやゆされながらも、当時の内閣は「公務員制度改革」にも意欲的に取り組んだ。具体的には、安倍氏が「突破力がある」と評価した渡辺喜美氏を行革担当相に抜てきし、縦割り行政の根源といえる「天下り斡旋」を禁じようとしたのだ。

 だが、この施策を受け、政権に対する族議員・官僚の抵抗はすさまじさを増した。また、官公労(各官公庁の労働組合)を支持母体とする野党側の抵抗にも、火をつけてしまった。

 さらに、「最強の官庁」と呼ばれる財務省とも対立的になった。国家による経済への介入を減らすことで成長を目指した「上げ潮派」と、介入をやむなしとする「財政タカ派」の反目を覚えている人も多いのではないか。

 当時の安倍氏は明確に「上げ潮派」路線を取り、同じ意見を持つ「お友達」を閣僚・補佐官に起用する一方で、財務省に近い関係にあるベテランは要職から排除した。財務省が目指した増税を明確に否定したのだ。また従来、財務省が仕切っていた政府税調会長の人事を官邸主導で行い、新しい税調会長に経済学者の本間正明氏を抜擢した。

 このようなタブーを恐れない強引な政権運営は、国民、官僚、族議員、野党、マスコミの激しい反発を買い、「お友達」たちは四面楚歌(そか)となった。政権のスキャンダルが次々と噴出することになったのは、タブーへの挑戦の代償といえなくもない。