ドキュメンタリー映画「失われた時の中で」が教えてくれる、明日への希望

「SDGs」「ダイバーシティ&インクルージョン」という言葉がメディアをにぎわす一方で、「戦争」という言葉がいまだ過去のものにならない現代社会。そうしたなか、今年2022年の夏、生命と時間と愛の尊さを感じさせてくれるドキュメンタリー映画が公開される――『失われた時の中で』(監督・撮影:坂田雅子)。ベトナム戦争の枯葉剤被害者を丹念に見つめた作品だ。フォトジャーナリストとして活躍していた夫の死、50代半ばで始めた映画制作、そして、ベトナムで出会った多くの人たちとの触れ合い……坂田雅子監督が、過去と未来をつなぐ“いま”を語る。(ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」編集部)

* 本文中の写真は、映画『失われた時の中で』より(写真提供:リガード)

夫を亡くした絶望感から一歩踏み出したことで…

 坂田雅子さん(映画『失われた時の中で』監督・撮影)は、いまから19年前の2003年5月に、夫のグレッグ・デイビスさんを亡くした。ベトナム戦争の米軍兵士で南ベトナムに駐留したグレッグさんは、1970年に京都で坂田さんと出会い、世界を駆け巡るフォトジャーナリストとして活躍していたが、肝臓がんによって55歳で急逝した。わずか2週間の入院生活。坂田さんにとってはあまりにも突然の別れだった。

坂田 夫が亡くなったときは、私は本当に絶望していました。しかし、いま振り返ってみると、私たちは皆、絶望と希望の間を揺れ動いているのではないか、と。そして、絶望の中にあっても、どこかに希望の光がひと筋でも見えれば、それに向かって生きていくことができると思うのです。悲しみというのは、ある程度はエネルギーにもなり得る。「悲しい、悲しい」と言って、内にこもってしまうこともあるけれども、勇気を出して一歩踏み出せば、新しい道が開けてくる。新しい世界で、新しい人たちに会うことができる。ベトナム戦争の枯葉剤をテーマにした私の3つの映画は、そうしてできあがったものでした。

 グレッグさんの死因がベトナム戦争の枯葉剤*1 にあるのではないか?――そんな疑念から、坂田さんは映画創りを志し、絶望の淵から一歩踏み出した。アメリカの学校で撮影技術を学び、グレッグさんを失くした翌年に、自分のカメラを携えて、ベトナムを訪れたのだ。そして、およそ3年の月日をかけてドキュメンタリー映画『花はどこへいった』(2007年)が完成。同作は、パリ国際環境映画祭特別賞などを受賞し、坂田さんは映画監督としての人生をスタートした。

*1 ベトナム戦争において、アメリカ軍は、1960年代初頭からおよそ10年間、ベトナムの各地で枯葉剤を散布し続けた。枯葉剤には猛毒のダイオキシンが含まれ、ベトナム国民とアメリカ兵に多大な健康被害をもたらした。

坂田  1作目の『花はどこへいった』を創り終えて、夫を亡くした悲しみを乗り越えられたわけではないけれども、「一段落ついた」とは思いました。そうして、「これからどうしよう」と考えたときに、留学の機会が訪れたのです。映画(『花はどこへいった』)が認められ、カリフォルニア大学バークレー校に招待され、客員研究員のような立場で1年間勉強する機会をいただきました。同時に、アメリカのベトナム帰還兵やその子どもたちが枯葉剤の被害で苦しんでいることを知り、何人もの方に実際にお会いしました。ヘザー・バウザーさんという、手足が欠損して生まれた人とも親しくなり、彼女と交わした“ベトナムに一緒に行ってみようか”という会話が2作目の『沈黙の春を生きて』につながりました。その後、アメリカから帰国した私は、「ベトナム語を習いたい、枯葉剤被害のことをもっと知りたい」と思い、2010年に、ベトナムに1年間住む決意をしたのです。それにより、日本からベトナムにときどき行くだけでは成し得ない取材を、現地の生活を通じて行うことができました。

「1960年代初頭、ベトナム戦争のさなかにアメリカはジャングルのゲリラに苦戦し、枯葉剤の散布を始めた。生い茂るジャングルの葉を枯らし、ゲリラの隠れ場所をなくすためだった」――映画『失われた時の中で』は、坂田さんによる、このナレーションから始まる。

 ベトナムでの最初の取材から足かけ18年。坂田さんは、1作目から3作目をこう振り返る。

坂田 最初は、自分の悲しみと向き合うために映画を創りました。でも、続けていくうちに、個人的な問題からだんだん離れて、社会的なテーマに目覚め、今回の3作目では使命感のようなものが芽生えました。1作目の『花はどこへいった』のときは、私は映画を創ったこともなかったし、ドキュメンタリーの技法が分からず、形や表層的なことばかりを気にしていました。けれども、『失われた時の中で』では、私自身が言いたいことを言えているか、自分の思いを表現できているかを考えるようになりました。「こうしたら、良いドキュメンタリーができるのではないか?」ということよりも、自分の中から出てくる自然なものを大切にするようになりました。

ドキュメンタリー映画「失われた時の中で」が教えてくれる、明日への希望

坂田雅子(Sakata Masako)

ドキュメンタリー映画監督

1948年、長野県生まれ。AFS交換留学生として米国メイン州の高校に学ぶ。帰国後、京都大学在学中にグレッグ・デイビスと出会う。1976年から2008年まで写真通信社に勤務および経営。2003年、グレッグの死をきっかけに、枯葉剤についての映画製作を決意。2007年、『花はどこへいった』完成。毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞、パリ国際環境映画祭特別賞、アース・ビジョン審査委員特別賞などを受賞。2011年、NHKのETV特集「枯葉剤の傷痕を見つめて~アメリカ・ベトナム次世代からの問いかけ」を制作、ギャラクシー賞ほか受賞。同年2作目となる『沈黙の春を生きて』発表。仏・ヴァレンシエンヌ映画祭にて批評家賞、観客賞をダブル受賞したほか、文化庁映画賞・文化記録映画部門優秀賞に選出。2011年3月に起こった福島第一原発の事故後から、核や原子力についての取材を始め、2014年に『わたしの、終わらない旅』、2018年に『モルゲン、明日』を発表している。また、自ら提唱者となり、枯葉剤被害者の子どもやきょうだいを対象とした奨学金基金「希望の種」をハノイのVAVAとともに設立。2010年から約10年にわたる活動の中で、これまでに1000万円以上の寄付が集まり、100人以上の子どもたちの教育を支援している。▶奨学基金「希望の種」(公式サイト)