「市民の力で世の中は変えられますか?」という問い

 戦争の始まりや争い事を望む人は少ないはずだ。それでも、個の集まりが作り出す集団は、時として、誤った方向に進み、取り返しのつかない歴史を築いていく。坂田さんのドキュメンタリー映画を観ると、そうしたことに改めて気づく。先行きが不透明で、曖昧で、複雑で、変化の激しい時代(=VUCAの時代)に、人々はどう生きていけばいいのか。

「よりよく知ることによって世界を変えることができる」――『失われた時の中で』で坂田さんが回顧する、グレッグさんの言葉が胸に刺さる。

坂田 ベトナム戦争は、アメリカの市民の声があって止められましたけれども、いま、私たちに社会を変えることが本当にできるのでしょうか……以前、ある消費者団体の方に「市民の力で世の中は変えられますか?」と率直に聞いてみたら、即座に「変えられますよ」とおっしゃいました。その迷いのない答えを聞いて、私は心強く思いました。間違ったことに対して、諦める必要はありません。みんなが諦めてしまったら、さらに悪くなることもあります。市民の力で「すごく良くなること」は少ないかもしれないけれども、何もしないで悪くなるよりはずっといい。

 そして、いろいろな考え方をぶつけ合うことで、よりよいものが生まれることもあります。お互い同士や世の中のあらゆることがつながっていることを意識して、一人が変われば他の人も変わる、何かが良くなれば別の何かも良くなるという考え方が必要なのだと思います。

 インターネットによる情報の流通が国境をなくし、グローバリゼーションの高まりが異文化交流を加速度的に進めている。いまや、日本の市区町村では外国人の存在が当たり前だが、グレッグさんと坂田さんが結婚した1970年代初頭(1972年)は、国際結婚の比率が1%を下回っていた時代だ。二人の間には、異なる出身国による価値観の相違もあったのではないか。

坂田 「アメリカ人だから」「日本人だから」という姿勢での意見のぶつかり合いやお互いへの偏見はなかったですね。そもそも、アメリカ人・日本人という属性の違いを私たちは意識していなかったです。周りの人たちは違う目で見ていたのかもしれないけれど。思い返せば、アメリカ人である夫のビザや在留資格の取得には苦労がありました。二人で暮らし始めてまもなく、彼のビザをもらうために入国管理局に行き、「一緒に住んでいます」と言ったら、「結婚もしないで同居しているのはけしからん。ビザは出せない」と言うのです。「……それなら、結婚すればいいのですか?」と聞いたら、「そうだ」と。それで、結婚後にビザを申し込んだら、法務大臣から、私の親宛てに直筆の手紙が来て、「日本人がアメリカ人と結婚したら、男の人の国に行って養ってもらうのが当たり前で、男の人が奥さんに養ってもらうのは日本の常識では考えられない」ということが書かれていました。当時は、フォトジャーナリストの夫よりも、会社員の私のほうが高収入だったので、そういう考えを持ったのでしょう。法務大臣が実際に書いたのかどうかはいまとなっては分かりませんけれども、手書きの文書には驚きました。