奥井 海外に行って、メンタル面で一番つらかったこと、それをどのようにして乗り越えたのか、教えてください。

田中 サッカーに限らず、どんな職業でも競争があると思います。僕より若いのに、より高いレベルでプレーしている人もいれば、そうでない人もいる。でも、皆、目指すところはだいたい同じです。「このリーグでプレーする」とか、「国の代表で活躍する」とか。そこに到達するスピードが、人それぞれ違うだけ。

 僕自身は、そのスピードが遅い方だと自覚しています。僕よりレベルの高いチームで活躍している人、すごい結果を残している人はたくさんいます。でも、あまりそれを気にかけることはないです。自分のペースでやっていけば、いつか彼らに追いつける、目標にたどり着くスピードが遅いタイプの人間なんだ、と思っている。なので、メンタル的な焦りを感じないですね。それは、自分の強みだと思います。

 僕の前には常にすごい人たちがたくさんいて、僕は彼らを追い続けてきました。楽ではないし、簡単なことではありません。でも、僕にとってはそれがちょうどよかったのだと思います。加えて、僕は自分でも嫌になるくらい、完璧主義なんです。どんなに活躍しても、いい試合をしても、うれしいときはほとんどない。「うれしい」と思えるようになるまで、反省ばかりしてしまいます。

 焦ることなく、続けた結果が今の自分なのだと思います。

奥井 日本では大学進学率が50%を超えており、多くの人が22歳を過ぎてから社会人になります。そんな中、田中選手は高校を卒業してすぐにプロサッカー選手になりました。18歳で実力主義のプロサッカーの世界飛び込むことに、恐怖はなかったのでしょうか。

田中 もちろんありました。自分の実力では通用しないだろうな、と。プロになったときは、「よし、プロサッカー選手として、やってやろう」というよりも、「やばい、やらなきゃ」という気持ちの方が強かったです。

 プロになった時点で、「プロサッカー選手になること」は夢ではなく、通過点の一つになります。プロの世界でどうやって生き残っていくか、ということばかり考えていました。

たなか・あお/プロサッカー選手。日本代表。1998年、神奈川県生まれ。小学3年生から川崎フロンターレの下部組織でプレーし、2017年にトップチームに加入。20年には自身初となるベストイレブンに選出。21年6月、独ブンデスリーガ2部フォルトゥナ・デュッセルドルフに移籍。ポジションはミッドフィールダー。

おくい・りょう/株式会社アサイン取締役。総合系コンサルティングファームに入社し、大手金融・流通業界をクライアントに、ITから戦略案件まで幅広く経験。その後、マーケティング支援企業を経て、株式会社アサインを共同設立。2021年ビズリーチ「ヘッドハンター・オブ・ザ・イヤー」受賞。一人一人の価値観からキャリアを描くことを重視し、伴走型のキャリア支援を行う。

>>後編に続く

★対談の模様は以下動画でご覧いただけます。

 

 

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