スマートフォンを使った
線路点検アプリを開発

 そして最後に紹介するのが、保守作業員が徒歩巡回する線路点検の効率化だ。鉄道では今も線路の波打った部分を測定したり、レールとレールの間を計測したりといった保線作業の少なくない部分が手作業で行われている。

 こうした人海戦術で行っている作業の一部を機械に任せて、異常の兆候が見られた場合は人間が出向く体制への転換、つまりTBMからCBMへの転換ができれば、現場の負担は大幅に軽減される。

 はじめに注目したのは新造車両に順次設置を進めていた加速度センサーだ。これは脱線時に列車を自動停止させるためのものだが、せっかくデータがあるのだから、これを解析して線路の状態を把握しようと考えたのである。

 CBMはJRや大手私鉄の先進的な取り組みと思うかもしれないが、本当に必要としているのは地方ローカル線だ。限られた保線員が来る日も来る日も線路を歩いて回るが、状況の把握と補修が追い付かない。線路の状態悪化が脱線事故につながるケースもある。

 人口減少と担い手不足が顕在化する中で、待ったなしの状況に追い込まれている中小私鉄の役に立ちたい。だが売り込みに行くと、「すごいですね」とは言われるものの「そんな高い装置、JRさんだから付けられますけどね」と反応は冷ややかだった。

 オープンイノベーションとはいいつつも、コロナ禍というかつてない危機感がなければ、中小私鉄に御用聞きをして技術を売って回るなどということはやっていなかったかもしれない。そうなればJR西日本の「高級な」CBM計画は着々と進み、中小私鉄は自分たちには関係のない雲の上の話と思って聞き流しただろう。

 ところがこの外からの声、外部のニーズがJR西日本を動かした。経営が苦しい中小私鉄は高価な装置を購入することができない。だがJR西日本もローカル線を1つ1つ分解してみれば、それぞれが地方私鉄のようなもの。コストパフォーマンスの良い仕組みが必要なのは変わらなかった。

 安価な加速度センサーはどこにあるか。注目したのはスマートフォンだった。スマホの加速度計データとカメラ映像、GPS機能を組み合わせることで、営業列車の運転席の窓にスマホを固定するだけで線路状態を計測できるアプリを開発したのである。しかもセキュリティーカメラで培った画像解析機能を横展開し、映像に写る枕木など線路上設備の自動抽出機能もオプションで用意した。

 だがこれまで人の目で見てきたものを、機械しかも汎用機器に置き換えることがなぜ、前例主義、自前主義の鉄道事業者で可能だったのか。井上氏は「スマホなんか信用できるか」という反応だったと語るが、車両に搭載したセンサーとスマホのデータを保線の担当者と一緒に比較検討し、そこまで外れた結果は出ないということを確認しながら理解を得ていった。

 しかしそれ以上に重要なのはCBMとは何かという思想である。JR西日本は人の作業を全部、機械に置き換えようとしているのではない。最終的に安全を担保するのは人間だ。だが、今まで通り100回中100回とも人が出ていく体制を継続できるか、あるいは100回人が出ていくよりも効果の高いやり方があるのではないかと問うているのだ。

 100回のうち3割ぐらいを機械に置き換えられれば人的な余裕が生まれる。一方、スマホという安価で簡易な機器で測定が可能になれば、多くの列車に設置することで人間が行っていたよりも多い頻度でデータを取得できる。これを掛け合わせることで安全性を高めていこうという考えだ。

 面白いのはこの考え方、JR西日本社内よりも外の鉄道事業者の方が理解が早いそうだ。それもそのはず、売り込み先に行くついでにスマホをセットし、出てきたデータを商談で披露する。ここまで分かるのか!と保線の担当者は驚く。一度、導入したら引き返せない重厚長大なシステムではなく、アプリだからちょっと試してみたくなる。

 そうこうして(退路を断たれたが故に)フットワークの軽い中小私鉄で運用が始まり、トライ&エラーを繰り返して実績が出来てくれば、「堅物」なJRの中でも活用の道が広がって行く。社内課題解決のための技術が、外の声をきっかけに社会課題解決の技術へと発展し、さらにそれが社内課題解決に戻ってくる。これこそまさにオープンイノベーションの成果といえるだろう。