スティーブ・ジョブズですら10年も迷走したのだから

 私は今でも迷い、不安になることがとんでもなく多いけれど、「選択のパラドックス」について知って以来、「まあ、人間としての特徴がちょっと強めに出ちゃったんかな」くらいに捉えて、「そのうちおさまるやろ」と、不安な自分を放し飼いにするようにしている。不安があまりに強すぎるときなんかは、病院や薬に頼ることもある。そのようにして徐々に、「怯える自分、ネガティブな自分がいても幸せ」な状況を意図的につくれるようになってきた。

 ただ、「間違った選択肢」を選んだらどうしよう、こっちの道を行って失敗したらどうしようと、「決断」するのにあまりにも強い恐怖が襲ってくる場合、私は頭の中で、一つのショートムービーを流すことにしている。

 それは、スティーブ・ジョブズがAppleから追い出されたときの映像だ。

 いや、ものすごく悪趣味だと自覚はしているのだけれど、私は「スティーブ・ジョブズですら仲間に退けられたことがあり、自分がつくったAppleという素晴らしいビジネスから一度手を離すことになった。でもそのおかげでピクサーが生まれた」という事実に、とても励まされるのだ。

 ジョブズとともにピクサーを発展させてきたローレンス・レビーは、『PIXAR』(文響社)の冒頭で、1994年当時の空気感を、こう描写している。「あのころはシリコンバレーで茶飲み話といえばスティーブ・ジョブズの失脚という時代だった」「スティーブ・ジョブズはシリコンバレー随一の有名人だが、であればこそ、もう長いことヒット商品を出せていないことに目が行ってしまう」と。

 ジョブズがAppleから追放されたのは1985年。以来、彼はさまざまな事業に投資してきたが、結局1995年に公開された『トイ・ストーリー』が大ヒットするまではなかなか次の芽が出なかったという。いや、一度マッキントッシュで超大きな成功をおさめたあと仲間から追い出されて、10年も「あいつの失敗やばいよね」と噂されながら、いろいろ試行錯誤しても全然うまくいかないって、それしんどすぎないか!? と思うのだ。ジョブズ、よく仕事続けられたなと思うもん。

 今思えば、ジョブズがアップルから追い出されたおかげでピクサーができたのだから、後世に残された私たちは全て知ってたみたいに「あのとき追い出されてよかったね」と言えるけれど、きっと当時はジョブズだって、あのときああしていなければ、とちょっとは悔やんだんじゃないかと、私は思う。もちろん本当のところはわからないけれど、まあとにかく、ジョブズですら選択ミスして業績を悪化させ、社員と仲違いし、ピクサーで成功するまでの10年間、悪口を言われまくり(それもシリコンバレー中から)、それでようやく成功したんだから、私程度のもんが選択ミスするのなんて、別に当たり前だよなと思えてくるのだ。

 だから、未来に迷い、後悔の無限ループにハマってしまったときにジョブズについての本なんかを読んでいると、私にとってのピクサーをつくろう、私にとっての「あのとき追い出されてよかったね」をつくろうと、勇気が湧いてくる。

 どんな人だって、結果が出るまでは怖い。いつも不安と戦いながら生きている。

 一度決断して、その選択肢が失敗だったとしたら「後悔」することが確定してしまうから、だったら「後悔するかも」の段階で止めておいた方がまだマシだ。そう思って前に進めない時期はある。私もそうだ。でも、選ぼうとしている道が「正解かどうか」のジャッジは、「とりあえず」でいいのだ。たたき台の決断でいい。いったん決めて進む。決めたからには、それが正解である理由をつくる。そうしてやれるところまでやってもうまくいかなかったなら、そこでまた「失敗だった」のジャッジをすればいい。「後悔」の記憶を「学び」の記憶に書き換えるのだ。

「選んだものがうまくいかなかった」という記憶そのものに「後悔」というラベル付けをしてしまうのが私たちの本能なら、それをそれとして認知した上で、抗おう。「抗う」という意識を新しく植え付けよう。うまくいく・いかないにかかわらず、一つの行動を取ったという経験は、人生の肥やしになるはずだ。成功体験ではなく、失敗体験の多さ・バリエーションの広さこそ、深い教養をもたらしてくれるんじゃないかと、私は信じている。幸福度から差し引きなんてさせてなるものか!

「あなたはなんにでもなれる」と言われる社会の中で、何にもなれない、何かになろうとも思えない自分が情けなく、途方もなく虚しくなることもあるけれど、こうして自分の心をちくちく細かく点検しながらなら、ちょっとずつ前に進んでいけそうな気がするのだ。

「本当にこの道を選んで正解だったのかな」と思うときは川代紗生(かわしろ・さき)
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。