旧統一教会は「集票マシーン」にすぎず
自民党と「ドライな関係」を保ってきた

 私はこれまで、旧統一教会は自民党の「集票マシーン」にすぎないと主張してきた(本連載第309回)。自民党の党員は“神様”を熱心に信じているわけではなく、うまく調子を合わせながら、選挙で勝つための集票組織として教団を利用してきたというわけだ。

 旧統一教会による政治活動もまた、自民党の支持団体としての社会的信用を得て信者を集めるための手段である。「日本会議」「創価学会」などの政治との関わり方と同様だ。

 一方で、教団が主張する政策を自民党が実現したことはない。また、現在の法規制に照らせば、宗教団体が政治活動を行うこと自体は違法ではない。

 政党は宗教団体を集票に利用し、宗教団体の組織的拡大を許してきた。だが、宗教団体側は政策の実現など政治的要求は控えてきた。基本的に、日本では「政教分離の原則」は守られてきたといえる(第309回・p5)。
 
 しかし、旧統一教会が霊感商法などの「違法行為」を行ってきたことは事実だ。政治に関わってきたことよりも、問題視すべきはこちらの方である。

 被害者の方々は手厚く救済されるべきだし、違法行為は徹底的に摘発されるべきだ。また、このような団体から支援を受けてきた自民党の道義的責任は厳しく問われるべきだ(第309回・p4)。

 つまり、「宗教」と「違法行為」は切り離して考えるべきなのだ。宗教そのものへのバッシングは「宗教弾圧」につながる危険性がある。宗教自体への批判は避け、あくまで「違法行為」が罰せられるべきなのである。

 だから私は、この問題を「政治と宗教」の話だとみなしたくないのだ。

 むしろ、「日本型どぶ板選挙」「保守派の二枚舌」がはびこっているという、日本政治における長年の問題の実態が、旧統一教会を通して垣間見えたのだと捉えている。

勝てばOKの「どぶ板選挙」が
旧統一教会とのつながりを招いた

 このうち「日本型どぶ板選挙」とは、政治家が選挙で票を得るために、どんな所へでも訪ねていき、どんなことでもする選挙を指す。勝つためなら何でもありだ。その結果、さまざまな集票団体に「反社会的」な団体が混じったというのが、旧統一教会と政治の問題の根底にある。

 日本で「どぶ板選挙」が行われてきた要因は、選挙制度改革前に長年採用されていた「中選挙区制」と密接に関係している。