簡単に説明すると、中選挙区制とは1つの選挙区で3~5人が当選する制度である。各党は落選者が出る事態に備えつつ、より多くの議席を獲得するために、複数名の候補者を立てることが可能だった。

 当時の自民党も、同じ選挙区に原則2人の候補者を立てており、他党の候補者に加えて党内でも競い合っていた。

 政策に違いのない自民党候補たちが“同士討ち”を行う際、勝敗のカギになったのは利益誘導の多さだった。

 当時の選挙では、政策よりも利益誘導が勝敗につながりやすく、国会議員の活動の多くが地元で行われた。

 具体的には、個人後援会、支援団体、その他各種団体、地方自治体、地方議会議員などとの連絡や要望等の吸い上げ、中央官庁への陳情の媒介、冠婚葬祭への出席などであった。

 また、議員の東京の事務所では、有権者向けの国会見学や東京見物などのツアーコンダクターのようなこともせねばならなかった。経費の大部分がそれらに費やされ、金額的負担も莫大であった。

 議員はこれらの地元対応のための政治資金を確保するために散々に苦労していた。その結果、さまざまな「政治とカネ」の問題が起こってきたのだ。

選挙制度改革を経ても
「利益誘導」の風習は継続

 その後、90年代前半に入ると、選挙制度改革(小選挙区比例代表並立制の導入)や政治資金制度改革がなされ、選挙は利益誘導よりも政策を競うものに変化した。その結果、政治とカネを巡る政治家の問題も大幅に減少した(本連載の前身『政局LIVEアナリティクス』の第27回)。

 しかしそれでも、安倍政権期にさまざまな閣僚が「政治とカネ」の問題で辞職したように、前時代的な不祥事は政界に残り続けてきた。「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」の問題も、突き詰めれば、選挙で票を得るために支持者に便宜を図ろうとして起こったといえる。

 なぜ利益誘導の風習が残っているかというと、政党や国会議員の活動には、今も日本社会の多くの人が関わっているからだ。大企業、中小企業、自営業、農協、町内会など、多くの組織はなんだかんだと自民党と関係があり、旧態依然とした集票活動の対象になり得る。

 本人が直接の関係がなくても、所属する組織が関わっている人や、縁戚をたどればどこかで自民党とつながっている人は多い。それが日本社会なのである。

 そうした背景もあり、「日本型どぶ板選挙」は、選挙制度改革後も日本社会全体を覆い続けてきた。旧統一教会と政治の関わりは、この「勝つためなら何でもあり」という慣行が消えてなくならないという大問題の一部分にすぎない。前述した「政治とカネ」の問題と根っこは同じなのだ。

 そして、旧統一教会と政治の問題は、今の自民党の方針では何も解決しないだろう。