中国の常識を変えたイトーヨーカドー、不動産評価にまで影響

 スーパー系の大型量販店にすぎなかったこの店は、なぜここまで消費者を引き付けたのか。それから7回ぐらい、消費者として北京のイトーヨーカドーをひそかにチェックしてから、店側に正式な取材を申し込んだ。取材すればするほどイトーヨーカドーに関心をもつようになり、やがてイトーヨーカドーが進出しているもう一つの拠点である成都(北京と成都は別の会社として設立されている)にも足を運ぶほどのめり込んだ。

 当時の中国は、やる気は十分にあるが、ビジネスを展開するための条件はまだ十分に整っていなかった。そこでマーケティング調査を行うため、現地法人の初代社長で、のちにイトーヨーカ堂の専務取締役兼中国室長の塙昭彦氏が連日、朝早く起きて、部下たちを連れ、ゴミ収集車が来る前に周辺の住宅地区に赴き、ゴミ捨て場をあさったという。捨てられたゴミから店舗周辺の住民が何を買い、何を食べているのかを探るためだった。

 彼らの行動を知った住民は感動し、進んで彼らを自分の家に入れた。こうして100人の家庭を見せてもらえ、中国市場に順調に入ることができた。

 成都にあるイトーヨーカドーの地下1階は食品生活館(生鮮スーパー)で、上の階はなじみのあるデパートというビジネスモデルだった。これは、市場で肉類や野菜などの食品を購入する当時の中国人の生活習慣を打ち破り、大型スーパーに対する成都人の認識を改めた。成都に持ち込んだ日本流のサービスは、「いらっしゃいませ」という挨拶だけではなく、使用が無料の母子室、ベビー専用カート、セルフパックバック、洗面所に置かれているドライヤー、ドレッサーの無料提供、雨の日には傘の無料レンタルサービス……など、そのいずれも中国の従来のスーパーにはなかったサービスだ。

 長い間、成都の住宅価格もイトーヨーカドーを重要な判断材料として定められていたといわれる。イトーヨーカドーが同地域に入居すれば、その地域の発展が速くなり、住宅価格も上昇期を迎えることになる。たとえば、成都の成仁路、天府二街、建設路の繁栄は、まさにイトーヨーカドーの影響を大きく受けたと言えよう。