怒りを未然に防ぐには、怒りの種である欲望と期待を大きく育てないように、日頃から注意することです。
そのためには、ものごとに対する「好き」「嫌い」の度合いを、できるだけ中立に近づけます。「好き」「嫌い」がはげしいと、欲望と期待も増大するからです。
欲望の強さと期待の大きさ、期待の大きさと怒りの激しさは比例しています。かなってもかなわなくても構わない願いなら、結果が望みどおりにならなくても怒りはほとんど起こりません。けれども、欲望が強すぎると期待も大きくなり、それが満たされなかった場合の怒りはすさまじく、制御しがたいものになってしまいます。
私たちが抱く欲望を、すべて思いどおりに満たすことができるかもしれないと考えるのは、非現実的です。しかも、怒りはいつ私たちを襲ってくるか予測不可能です。私たちの意思とは関係なく、勝手なタイミングで爆発します。発生してしまった怒りを静めようとすることは、いわば外科手術と同じ、対症療法です。
ですから、はじめからすべての欲望を満たすことはできないことを前提に行動するほうが、建設的です。そうすれば、予測や想定を裏切るできごとが起きても、むやみに怒らず冷静に対処することができます。
私たちは日常生活において、さまざまな人々や状況に出会います。特にビジネスの場面では、与えられた仕事をやり遂げる過程で、しばしば腹が立ったり不満を感じることもあるでしょう。けれども、どのような場面においても、私たちはみずから怒るか怒らないかを選ぶことができます。反射的な怒りで自分を傷つけながら仕事を続けることを習慣にする代わりに、別の選択肢を取ることもできるのです。
選択肢のひとつは、正直になることです。必要とあらば、ためらわず否定することです。たとえば、与えられた仕事について、「通常の業務時間内では、終わりそうにありません」、「いただいた指示が、明確になっていません」と素直に伝えることです。そうすれば、あとになって同僚や顧客に対して、「失礼のないように、あんなに気を遣ったのに」というネガティブな感情を抱くことはありません。はじめのうちは勇気がいるかもしれませんが、自分に敬意をはらうことが、結局は他者に敬意をはらうことになるのです。
もうひとつは、誰かに感謝されることを期待したり、褒めてもらおうとしないことです。真に意味のある仕事は、いつかかならず認められます。それを知って、自分のためにいい仕事をすれば、他人に「よくやった、すばらしい」と言われなかったとしても、報われない努力をしたと感じることも、落胆することもありません。
また、私たちが抱く期待には、「こうあって当然だ」という社会通念や常識の類も含まれます。特に、「うるさい」「くさい」「汚い」などの判断基準は、きわめて主観的ですから、気をつけなければなりません。
私も日本にいると、電車の到着が2分遅れただけで、つい、いらだちを感じてしまいます。インドにいれば、列車が定刻より20分以上遅れることはちっとも珍しいことではありません。それどころか、遅れることを予想して駅に行ったら、列車が時間どおりに出発してしまったあとだったりして、びっくりするくらいです。そんなときは、次の列車が来るまで、何時間も待たなければなりません。バスなどは、満員だとバス停の前を猛スピードで通過してしまうこともあります。待っているほうも、バスに乗れないと困りますから、少しでもスピードが落ちると、ドアや窓からとび乗ります。エンジンが動かなくなって、乗客が車体を押すことも日常茶飯事です。
完璧に見えるすばらしい環境も、「そうでなければならない」と決めつけてしまうと、私たち自身が縛られてしまいます。怒りたくなるような状況を、みずからつくりださないようにしましょう。
(次回は2月20日更新予定です。)
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