教職員たちが一人の学生の苦労や志に共感して…

 神戸大学の卒業式があった翌朝、新聞を見ていると、ふと、ある記事に私の目が留まった。『「私らしく」通称名で門出』という見出しが、袴姿の卒業生が誇らしげに学位記を広げている写真とともに視界に飛び込んできた。同僚教員の研究室を修了した大学院生の取り組みにフォーカスした記事だった(2023年3月25日付、神戸新聞朝刊)。

 記事によると、この大学院生は、自分が「男性」とされることに違和感をもって育ったのだという。大学生のときには、「女性」としてのアイデンティティを主張して「明日香」という名前を名乗るようになった。さらに大学院に進学すると、学生証などにも「明日香」の名前を使用できるよう大学に打診することにした。大学側は、そのような学生からの要求が初めてだったこともあり、すぐには結論を出せなかった。それでも、研究科長や指導教員をはじめとする関係者のチームプレーが実り、教授会での協議に持ち込んだ結果、「明日香」の名前で学位記を手にすることができたのだという。

 私はこの記事を読んで、明日香さんの勇気と教職員の行動力を、同じ組織の構成員として誇らしく感じた。当該の大学院は私の所属する組織ではないのだが、明日香さんの指導教員である青山薫教授と一緒に仕事をしたこともある旧知の関係だったため、この件の背景やいきさつを尋ねることにした。

 青山教授によると、教職員たちは、明日香さんの行動に背中を押されるように、学内の調整に奔走したり、同僚たちの理解を深める学習会を開いたりするなど、できる範囲での取り組みを行ったのだという。その上で、青山教授は次のように語ってくれた。

「当事者の明日香さんがたいへんよく頑張りました。関係者は必要に応じて良い連携を取ったという感じで、主人公は明日香さんだけです」

 明日香さんは苦労を重ねて、望んだ名前が書かれた学位記を手にすることができたのであり、それまでの過程で幾度となく世間の対応に傷つけられてきたという。青山教授は、困難に直面している学生に、さらなる苦労を強いてしまったことが反省点だと述べる。それでも、成果を得ることができたのは、教職員が一人の学生の苦労や志に共感したからでもある。

 明日香さんは、就職先の企業でも「明日香」の名前で働くのだという。大学院をこの名前で修了することができた実績が、企業にも伝わった結果だ。ひとりの学生の行動が教職員の連携を呼び起こし、ついには企業にも新しい風を吹かせる――とても夢のある物語だと、私は思う。