学生をはじめとした若者たち(Z世代)はダイバーシティ&インクルージョンの意識が強くなっていると言われている。一方、先行き不透明な社会への不安感を持つ学生も多い。企業・団体はダイバーシティ&インクルージョンを理解したうえで、そうした若年層をどのように受け入れていくべきなのだろう。神戸大学で教鞭を執る津田英二教授が、学生たちのリアルな声を拾い上げ、社会の在り方を考える“キャンパス・インクルージョン”――その連載第8回をお届けする。(ダイヤモンド社 人材開発編集部)
* 連載第1回 「生きづらさを抱える“やさしい若者”に、企業はどう向き合えばよいか」
* 連載第2回 ある社会人学生の“自由な学び”から、私が気づいたいくつかのこと
* 連載第3回 アントレプレナーの誇りと不安――なぜ、彼女はフリーランスになったのか
* 連載第4回 学校や企業内の「橋渡し」役が、これからのダイバーシティ社会を推進する
* 連載第5回 いまとこれから、大学と企業ができる“インクルージョン”は何か?
* 連載第6回 コロナ禍での韓国スタディツアーで、学生と教員の私が気づいたこと
* 連載第7回 孤独と向き合って自分を知った大学生と、これからの社会のありかた
大学の卒業生たちに対して、“ゆらぐ思い”がある
この原稿を書いているのは、まだ卒業式の前だが、今年も多くの学生たちが大学のキャンパスから飛び立っていく。博士論文を書いた学生、修士論文を書いた学生、卒業論文を書いた学生を送り出す。加えて、私は大学附属の特別支援学校の校長も担っているので、高校生、中学生、小学生の卒業生も送り出す。こんなに範囲の広い卒業生の送り出しに関わることができるのは、とても幸せなことだと思う一方、なかなか悩み深いことでもある。
博士論文を働きながら書き上げた学生は、最後はボロボロになりながら喰らいついてきた。知的障がいのある男性の性の問題から社会規範を浮き彫りにするユニークな博士論文だった。書き進めた部分を毎週のゼミに持ち込み、ダメ出しされながら、論文を一歩一歩書き上げていった。深いコミュニケーションをとった学生を送り出すのは、やはり感慨深い。修論と卒論も、学生たちはそれぞれの歩みの中で、学生たち自身にとって意味のある論文をしっかり書き上げたと思う。現代人の生きづらさをもたらす社会規範の実像をつかもうとする論文、過去の学びが時を隔てて新たな意味として再生してくる過程を捉えた論文、学生たちが知的障がい者と友だち関係になることをテーマにした論文、多様な背景を持つ選手を指導する競技スポーツ指導者の専門性をテーマにした論文など、学生それぞれの人となりが表われたものばかりで、読み応えもあった。
私たち教員は、学生たちの論文執筆に付き添うことで、学生たちの人生に関与する。論文のテーマを決めるところから、学生それぞれがどのように生きてきて、これからどのように生きていこうとしているのか、といったことを探りながら、学生の思考に寄り添っていこうとする。せっかく膨大なエネルギーを費やして執筆する論文なのだから、それぞれの学生自身にとって生きるための糧になるような論文執筆の過程になってほしいと願うからである。
それぞれの論文をなんとか書き上げた学生たちに対する私たちの最後の仕事は、卒業生たちに贈る言葉を考えることである。気の利いた言葉を紡ぐのは、とても難しい。私にとって最も苦手な仕事のひとつである。フォーマットどおりに決まり文句を述べればよいと思うほどには冷めていないし、熱い言葉を毎年紡ぎ続けるほどの力もない。そして何より、卒業生たちに対する私自身の思いを整理して言葉にするのは簡単ではない。
卒業生たちには、それぞれの持ち場で力を発揮し、よりよい社会づくりに貢献してほしいと思う。同時に、卒業生たちには幸福な人生を歩んでほしいとも思う。社会に貢献することと、幸福な人生を歩むこと。かつては私も、この2つの要素が順接でつながっているものと思っていた。社会で活躍すれば幸福な人生を歩むことができる、と。しかし、卒業生たちとの関わりの中で、そう単純なものではないということに気づいた。