姿を現し、声を上げることから始まるインクルージョン
障がい者の社会参加が進むと、歩道の段差解消や公共交通機関のバリアフリー化など、街にたくさんの変化が起こる。それによって住みやすい街になったと感じるのは、障がい者ばかりではないはずだ。つまり、障がい者の社会参加は、街を、社会を発展させていく。
そうした発展も、障がい者が街に姿を現すことがなければ起こらない。障がい者の社会参加を促進するための努力は、社会福祉サービスの充実や障がい者雇用の促進などを通じて、さまざまになされてきた。障がい者だけではない。何らかの理由で、参加や活動が制約されている人たちが姿を現し、周囲に影響を与えていく状況が生まれることで社会が発展するというできごとは、私たちの周囲でたくさん起こりえる。
例えば、少し前のことだが、私たちの学生のひとりが短期間のうちに結婚・出産・離婚を経験した。あっという間にシングルマザーとなったこの学生は、学業継続の危機に陥った。けれども、彼女はめげずに赤ちゃんを連れて通学する決意をした。教職員に事情を説明して、学生のための部屋のひとつを赤ちゃんの居場所として機能するように改良してもらい、授業時間に赤ちゃんの子守りをする学友を募った。
彼女の行動に共感する学友も多く、サポートのしくみはうまく機能したようで、この学生は一年後に論文を立派に書き上げて卒業していった。決して誰かの過大な負担の上に成り立った学業継続ではなかった。もし、この学生が、子育てを理由に退学していたら、学友たちの協力の輪も生まれなかったし、子育てをしながら学業に励むというモデルが失われるところだった。
明日香さんが望んだ名前の学位記を手にすることができたのも、明日香さんが自分の存在を誠実に社会に訴えかけたところから始まった。そして、明日香さんの周囲に、その声をしっかり受け止める人たちがいたことが、物語を展開させた。
「あーち」のジレンマも、高い壁で社会から見えなくなっていた人たちが姿を現す場だからこそ生じるものだ。ジレンマをいきなり解消することは難しいかもしれない。高い壁の要素には、無意識にすり込まれた偏見や差別意識もある。しかし、他者に興味を抱き、他者との関わりから学ぶ機会があることで壁を低くしていくことはできる。ジレンマがあるからこその気づきを生み出せれば、インクルージョンに一歩近づくことにもなる。
社会との間に壁を感じている人が姿を現し、声を出すことができる環境が大切なのは、企業内でも同様だろう。従業員それぞれの困り事を個人的な問題として片づけてしまうのではなく、上司・同僚・先輩社員といった周囲の人たちが力を出し合って問題を解決しようとすることが、企業全体の価値を高めていく。企業の経営層・管理職・人事担当者には、従業員一人ひとりの困り事を声に出せる環境や機会をつくったり、問題解決のための協力関係を従業員間に促したりすることが期待される。あらゆる人の「壁」をなくすという「大きな動き」を生み出すために、「小さな行動」を惜しまないことが肝心なのだと思う。
挿画/ソノダナオミ