“コミュニケーションと相互理解の壁”を乗り越えて、組織が発展するために

学生をはじめとした若者たち(Z世代)はダイバーシティ&インクルージョンの意識が強くなっていると言われている。一方、先行き不透明な社会への不安感を持つ学生も多い。企業・団体はダイバーシティ&インクルージョンを理解したうえで、そうした若年層をどのように受け入れていくべきなのだろう。神戸大学で教鞭を執る津田英二教授が、学生たちのリアルな声を拾い上げ、社会の在り方を考える“キャンパス・インクルージョン”――その連載第9回をお届けする。(ダイヤモンド社 人材開発編集部)

* 連載第1回 「生きづらさを抱える“やさしい若者”に、企業はどう向き合えばよいか」
* 連載第2回 ある社会人学生の“自由な学び”から、私が気づいたいくつかのこと
* 連載第3回 アントレプレナーの誇りと不安――なぜ、彼女はフリーランスになったのか
* 連載第4回 学校や企業内の「橋渡し」役が、これからのダイバーシティ社会を推進する
* 連載第5回 いまとこれから、大学と企業ができる“インクルージョン”は何か?
* 連載第6回 コロナ禍での韓国スタディツアーで、学生と教員の私が気づいたこと
* 連載第7回 孤独と向き合って自分を知った大学生と、これからの社会のありかた
* 連載第8回 ダイバーシティ&インクルージョンに必要な「エンパワメント」と「当事者性」

多様な属性や背景をもつ住民たちの空間「あーち」

 新卒社員が企業に入社して、約2カ月がたつ。学生時代とは異なるさまざまな人との関わりりにとまどいを感じている新人も多いのではないか。今回は、コミュニケーションや相互理解を阻む「壁」の存在と、その「壁」を低くする方法を考えてみたい。

 私が教員を務める神戸大学には、2005年から運営を継続している「のびやかスペースあーち」(以後、「あーち」)という社会教育施設がある。「子育て支援をきっかけにした共に生きるまちづくり」をめざして、大学ならではの実践を行っている*。

*「オリイジン」記事 大学施設「のびやかスペース あーち」が目指す“共に生きるまちづくり” 参照

 私は、多様な背景や属性をもつ住民が集まり、住民相互の学びあいが深まるように、という意図をもって「あーち」の運営に携わってきた。まず、「あーち」を開設した当初、「多様な人たちが集まる場をつくることが、こんなに難しいことなのか」と思った。乳幼児連れのお母さんたちがたくさん来るようになると、それ以外の人たちには周辺的な存在になったような感覚が生まれる。そこで、私は、「同質性の高い人たちが集まる居心地のよさ」だけでなく、「異質性の高い人たちが集まってお互いに刺激を与えあうおもしろさ」も、場に人が集まる原理になるように何かの手を打たなければ、と考えた。

 そんな中で出会ったのが、重度障がいのある小学生の男の子とそのお母さんだった。このお母さんは、「どこにも居場所がないと感じていたところに『あーち』ができて、本当にありがたい」と言って、男の子の学校帰りに必ず「あーち」に立ち寄ってくれるようになった。「公園も児童館も居場所にならない子どもたちはたくさんいますよ」と、お母さんは語っていた。

 私は、この親子に協力を求めて、「あーち」が「地域に居場所のない人たち」にも開かれた場所になるよう、「居場所づくり」プログラムを開設することにした。毎週金曜日の夜に、おとなも子どももみんなが楽しむことのできる遊びに取り組むプログラムであった。それから17年がたち、「居場所づくり」はたくさんの新しい出会いを生んできた。プログラムのきっかけをつくってくれた重度障がいのある少年は24歳の青年になり、現在(いま)でも「あーち」の看板的な存在だ。

 新しい出会いを生んだ「居場所づくり」だが、しかし、それが発展するとともに、私は、このプログラムの内と外の温度差が広がっていくジレンマも感じるようになった。「居場所づくり」は「特別な人たちが集まっているプログラム」という雰囲気が漂ったのだ。

「あーち」開設10周年に行った利用者アンケートのデータに、「人と人を遮る壁」の存在が感じられた。「あーち」で、障がい者や高齢者、外国人など多様な人たちと出会うことに意義を感じると答えている人は「あーち」を頻繁に利用して、さまざまな「あーち」のプログラムに参加している人も多かった。この調査結果を私たちは次のように解釈した。

「『あーち』の利用者は、他者の懐に一歩深入りするきっかけがない限り、異質性を感じる他者との間に壁を感じている」

 自分とは異なる経験をしたり、自分が気づかなかった物の見方や世界の美しさ、おもしろさを教えてくれる他者の存在は、自分の人生を豊かにしてくれるはずだ。そのような人と人との交流は、社会全体を豊かにもしてくれるだろう。しかし実際には、異質性を感じる他者に対する警戒感は根強く、他者と自分との間に壁をつくってしまうことも多い。その結果、多くの他者との間に壁を感じて孤立する人も出てくる。世の中の多数派の人たちにとって異質な少数派の人たちは、周囲を高い壁に囲まれてしまうと、世の中から見えにくいところに追いやられてしまう。