他者のことを知ることで乗り越えられる壁がある

 冒頭の「あーち」の話に戻ろう。

「あーち」は、大学の研究機関の一部でもあり、日々起こるできごとをデータにして研究することもある。その一環で、私たちはかつて、自閉症の子どもがパニックを起こして大騒ぎになっている事態に遭遇したときの、「あーち」来館者の表情や行動を観察したことがある。私たちが予想していたのは、大声を出しながら地団駄を踏んで暴れる子どもを見て、警戒し、逃げ出そうとする人たちの姿だった。しかし、実際に注意を向けてみると、ほとんどの幼児連れのお母さんたちは「自分にも手助けできることはないか」と、心配そうに身体を動かそうとする姿勢を取っていることがわかった。

 異質な他者との間にある壁を壊すヒントは、身近にあるのかもしれない。ちょっとした働きかけやきっかけがあることで、多くの人が「壁を壊す作業」に参加するのかもしれない。

「壁」は、さまざまな要素によって成り立っている。

 異質であることを受け入れられずに他者を警戒してしまうことは誰にでもあり、それが壁になることもある。慣れ親しんだ日常をかき乱す迷惑な存在として異質な他者を感じることも、誰にでもある。他者に迷惑をかけられたくないという自己中心的な気持ちも壁の要素になりえるのだ。また、異質な他者については通常わからないことが多い。無知ゆえの偏見が壁の要素になることもあるだろう。さらには、異質な他者とどのように関わったらよいかわからずに躊躇しているといった状態も、壁の要素になりえる。

 私たちは、ついついインパクトの強い異質性に意識が向いてしまう。しかし、「壁」には案外小さな力で乗り越えられる部分も多いのではないだろうか。

 まず、他者のことを知ることで乗り越えられる壁がある。自閉症の子どもがパニックを起こすのは、多くの場合、誰かを攻撃しようとしているのではなく、混乱している自分を持て余していることの表現だということがわかれば、パニックを起こしている子どもに共感的に接することができるかもしれない。

 関わり方がわかれば乗り越えられる壁もある。人間関係に失敗はつきものである。「相手を傷つけてしまうのではないか」という恐れが、人間関係の距離を生むことも多い。しかし、謙虚でさえあれば相手から学びながら人間関係をつくっていくことができる。前もって正しい関わり方についての知識をもたなければならないと考えるより、多少の失敗が伴うとしても、相手のことをもっと知りたいと興味をもつような関わりを育てていくほうが、壁を低くできる。

 自分に心のゆとりがあれば乗り越えられる壁もある。壁は他者との間にあるのではなく、自分の中にあることにも気づくことがある。遅刻しそうで焦りながらバスに乗っているときに、車椅子の乗客が乗ってきて、少し時間を取られる場面に遭遇して、思わず、その車椅子の乗客に厳しい視線を投げかけるというようなことが起こりえる。冷静になれば、苛つく自分に問題があるということに気づく。ゆとりのある生活を心がけたり、ゆとりを生み出す社会をめざしたりといった日々の努力が大切なのかもしれない。

 明日香さんを支えた教職員たちも、性的少数者についての理解を深める努力をしながら、自分の職務に忠実に、できることに取り組んだ。それによって、明日香さんと周囲の人たちとの壁は低くなった。