2015年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの神様』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの神様Photo: Adobe Stock

幸も不幸も存在しない
そう思う「心」があるだけ

 たとえば、ガラスのコップを見たとき、100人が100人とも「これはガラスのコップである」ことがわかります。

 お箸を見たとき、100人が100人とも、「これはお箸である」ことがわかります。

 茶碗を見たとき、100人が100人とも、「これは茶碗である」ことがわかります。

 では、100人が100人とも、「これは『幸せ』である」とわかるものは、あるのでしょうか?

 すべての人が、絶対的な価値を持って「幸せだ」と思えるものは、存在しません。

 Aさんにとっては「幸せ」なことが、Bさんにとっては「幸せではない」ことがあります。

「幸せ」は、個人にのみ帰属するものです。「幸せの本体」がどこかにあるのではなく、私が「幸せ」と思えば「幸せ」に、「不幸」と思えば「不幸」になります。

 個人が「これは私にとって幸せである」と決めたときに、その人にとっての「幸せ」になるのです。

 このコップの水は半分しかない。だから「不幸だ、不愉快だ」と思う人がいてもいい。

 その反対に「半分あって嬉しい、楽しい」と思っても、あるいは、「半分残してくださってありがたい」と思ってもいい。

「コップの中に半分の水がある」という現象に価値を決めているのは、受け取る側の「心」です。

 幸せも、不幸も、外的なもので決まるのではなく、「心」のあり方で決まります。

「つらく」「悲しく」「むなしい」と思う事実は、じつは、存在していません。「そう思う心があるだけ」です。

 ですから、「つらく」「悲しく」「むなしい」ことは、「そう思い、そう決めつけた自分の結論」です。

 30年間病気をしたことのない人が、盲腸で2週間入院をしたとします。

 そのとき、「病気になったことは、不幸だ」と考えることもできますが、「2週間まとめて休むことができたので、すごく元気になった」というとらえ方もあります。

「2週間会社を休んだ」という現象自体はニュートラル(中立)であり、何の評価もついていません。「本人のとらえ方」が、評価(幸か、不幸か)を決めているのです。

 ひとつの現象や出来事に、プラスもマイナスも、幸も不幸もありません。

 すべての人が、「幸せだ」と言える出来事や現象があるのではなく、自分が「幸せだ」と思った瞬間に、そう思った人にだけ「幸せ」が生じるのです。

「幸せ」とは、存在するものではなく「感じるもの」です。

 結局のところ、私たちが、目の前の現象をどう思うか、感じるかであって、普通に歩けることが幸せだと思った人には、幸せが1個。目が見えることを幸せだと思った人には、幸せが2個手に入る。

 耳が聞こえて幸せ、口で物が食べられて幸せ、鼻で呼吸ができて幸せ……と考えていけば、「幸せ」はいくらでも手に入ります。

 すべての人に共通する「幸せ」はありません。ひとえに「私」が「幸せ」を感じるかどうかで、「幸せ」が存在するかが決まるのです。