効率的に学習を進めるという意味では、究極的には、一人ひとりの理解度や学力に応じて、オーダーメイドでカリキュラムが組まれ、時間割も個別に組まれるのが理想だろう。それが「アダプティブ・ラーニング」といわれる学習法だ。しかし、技術的にいって、学校教育のすべてのカリキュラムでそれを即実現するのは難しい。

 だからここでは、みんな一緒の「一斉授業」と、一人ひとりそれぞれの「アダプティブ・ラーニング」の間を突き、かつ学校の教室で集団で学んでいるメリットを活かせるような手法を開発しなければならない。

 また、GIGA端末をもっと自由に使わせたらいいと思う。朝でも放課後でも、例えば図書室に場所を定めてもいいから、「ゲームは禁止」などの制限をつけた上で、だ。自宅に持ち帰らせる場合には、自治体から簡易なWi-Fi設備も一緒に貸し出す必要があるだろう。そうでないと、さらに学習格差が広がってしまう。

 こうしたオンライン教育を進めるには、ハード面の整備とソフト面の整備の歩調を合わせることが最も重要だ。ハード面については、コロナ以前から政府には「GIGAスクール構想」があり、補正予算にも大胆に組み込まれ、実際に端末が教育現場に配られた。

 だからここでは、運用面の問題に絞って語っていく。

 まず、「オンラインか、学校か、ではない」ということを最初に断っておきたい。二者択一の話ではない。

 どっちがいいんだろうとか、本当の教育は生でなければできないとかいうのは、みんなウソである。私がこれから提示しようとする学校の新しい授業スタイルは、オンライン動画を流しながら教室で生徒と先生が一緒に学ぶのもあり、というものだ。

 ただし、オンラインも学校も、手段である。繰り返すが、あくまでも手段なのだ。手段として、オンラインをやれば教育が豊かになるわけではないし、ましてや学校の教育力の地盤沈下が止められるわけでもない。さらに子どもたちにとっても、先生が学校でオンライン動画を使えば、授業に興味が湧いたり、理解が自然に早まるわけではない。

 要は、運用次第なのだ。