運用方法はインデックスファンドに投資する妥当でシンプルなものだったが、手取り収入の半分で暮らす禁欲的な生活の実践こそがすごいと思った記憶がある。この本の著者はFIREの達成までに掛かる年数について、17年よりはもう少し楽観的だが、それでも10年程度の歳月は覚悟しなければならない。

 仮に、17年にせよ、10年にせよ、FIREが完成するまでの期間をどう評価したらいいだろうか。

 筆者は、20代、30代の十数年の歳月を手取り収入の半分で暮らすこのスタイルについて、自分自身の「人的資本」に対する過小投資になりかねないことに対して違和感を持っていた。例えば、年間250万円で暮らすことと400万円(手取り収入500万円のうち20%の100万円を貯蓄したとして)で暮らすこととを比較すると、差額の全てが将来の稼ぐ力につながる自己投資ではないまでも、250万円生活では、知識や経験、人間関係、そして時間に対する投資が過小になって、将来の稼ぐ力がより小さくなる公算が大きいように思う。

 これに、『DIE WITH ZERO』のメッセージを踏まえた、主として経験に対する消費の観点でも、人生にあって「楽しむ能力」が最も大きい貴重な時期に十分なお金を使わないことは「もったいない」と言えるのではないかと付け加えることができる。

 筆者は、若い頃に生活費を極端に切り詰め、貯蓄・投資にお金を回して目指すFIREを「守銭奴型FIRE」と呼んでいるが、このスタイルは、投資(人的資本への投資)と消費(経験の消費)の両面で「最適」から外れているように思う。

 要はバランスが悪い。

お金を貯めることと使うことの
「加減」をどう設計するか

 では、『DIE WITH ZERO』の中のエピソードにあるように、将来は所得が増えるのだと信じて20代、30代の頃に所得の大半ないし、それ以上のお金を使うことが、わが国で一般的な勤労者である若者に推奨できるのかというと、少し違うように思う。