写真:本能寺の門前(京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町)本能寺の門前(京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町) Photo:PIXTA

史実と何もかも違う
「どうする家康」のストーリー

 NHK大河ドラマ「どうする家康」では、家康は京都に少人数の護衛だけで滞在した信長を、忍者を使って殺そうと計画していたが、最後になって臆病風を吹かして取りやめた。ところが、信長・信忠父子が京都に滞在しているのを見た明智光秀が、謀反により本能寺の変を起こしたという、肩透かしのストーリー展開。

 そして、秀吉は信長に仕えるのに嫌気が差して、家康に謀反を少しそそのかしていたが、信長の死を聞くや、冷静にチャンスをつかみ、清洲会議では信忠の遺児三法師を信長の後継者に据えた。これに反発する信長の三男信孝と柴田勝家は、秀吉に対して兵を挙げるが、次男信雄を味方にした秀吉には歯が立たなかった。

 織田家をないがしろにする秀吉に反発するお市は、勝家に嫁いで、家康にも救援を求めてきたが、形勢不利は明らかなので、家康はお市の願いを聞けなかったということになっていた。

 だが、史実は何もかも違う。でたらめな上、面白い見方というほどのこともない。

 これでは、視聴率下落に歯止めはかからないだろう。

 そもそも織田家の今後を決める清洲会議は、信長の跡目を決める会合ではない。織田家の家督は、すでに信忠に譲られていたのだから、信忠の跡目を決める会議だった。だとすれば、三法師以外にあり得ないわけで、問題は、その後見をどうするかということと、弔い合戦などを受けての領地の配分だった。

 本来の宿老会議のメンバーは、柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、滝川一益、羽柴秀吉のはすだが、明智は滅ぼされ、滝川も上野の領地を維持できず逃げ帰ってきたので資格を失い、代わりに、信長の乳兄弟である池田恒興が加わった。なお、信雄や信孝は出席していない。

 領地配分では、明智退治に功績のあった、羽柴、丹羽、池田が優遇され、柴田は秀吉から北近江を譲られたにとどまった。また、信雄と信孝では、信忠や五徳と同母だった信雄は尾張を得たが、もともとツーランクくらい格下だった信孝も軍功で美濃をもらい、同格に扱われることになったから、口惜しい結果だった。