会社員から一念発起して
漫画家をめざした理由
1971年生まれ。茨城県出身。中学生時代はブラスバンド部に所属し、大学時代はバンドで活動。22歳から27歳まで米国に留学、ロッククライミングや気象について学ぶ。帰国後、会社員を経て28歳のときに漫画家に転身。山岳救助を描いた『岳』で2008年第1回マンガ大賞、小学館漫画賞、第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。2013年からジャズをテーマにした『BLUE GIANT』の連載を開始
石塚 会社員を経験してすごく良かったと思っています。読者の多くは会社員です。例えば、通勤電車に揺られて会社へ通う心情は、体験の基盤がないと描けなかったと思います。
田中 会社員だったときに、一念発起して漫画家を目指されたんですよね。
石塚 はい。会社がイヤになって辞めたわけではなく、20代後半のときに漫画を読んでいて、「漫画っておもしろいな、漫画家になりたいな」と、突発的に思い立ったんです。
漫画を描いて応募してみたところ、新人賞というチャンスをもらえたので、会社を辞めました。漫画家の先輩には、「漫画家の道は難しいぞ」とか、「漫画家1本で生活するのはやめておけ」と諭されましたが(笑)。
田中 なぜ、漫画家だったのですか?
石塚 明確な理由はないのですが、直感でできるかなと思ったのです。絵を描いたこともないくせに(笑)。
あと、10代の頃、アメリカで生活していると、日常のちょっとした習慣、例えば、駐車場での車の止め方とか、日本とは違うところがたくさんあって、それに気づくのがおもしろくて、人に伝えたいなという気持ちがつねにありました。
アメリカで知ったクライミングも、日本にいたときに抱いていた登山のイメージと、180度違うものでした。
黙々とひたすら克己心(こっきしん)を鍛えるのが登山だと思っていたのですが、アメリカでは「イケてる」人たちがするスポーツで、週末、山のスライドを持ち寄ってわいわい言いながら飲んだり、スタイリッシュに登っている。こんな楽しそうな登山をそれまで知らなかったので、日本の人たちにも伝えたいな、と思いました。
2013年より「ビッグコミック」にて連載スタート。ジャズにすべてを懸け、世界一のジャズプレイヤーを志す青年・宮本大の成長や友情を描く青春物語。仙台編・東京編となる『BLUE GIANT』(全10巻)、ヨーロッパ編『BLUE GIANT SUPREME』(全11巻)、アメリカ編『BLUE GIANT EXPLORER』(既刊8集)がある。2023年7月25日から「ビッグコミック」にて、ニューヨークを舞台にした新シリーズ『BLUE GIANT MOMENTUM』(story director NUMBER8)が開始。2023年2月に『BLUE GIANT』のアニメ映画が公開され、世界公開も控える
ジャズも同じで、ネクタイを締めて襟を正して、カクテルを片手に、うーんと眉根にしわを寄せながら聴いているイメージがあったのですが、アメリカでは、キャップを被って、短パンで「イエーイ!」なんて言いながらジャズを楽しんでいる。こうしたスタイルも伝えなくてはと。それができるとしたら漫画という媒体ではないかと思いました。
田中 なるほど、伝えたいものが先にあったんですね。
石塚 はい。そのために一番、効率がいい手段が漫画と思ったんです。というのも、考古学研究がテーマの漫画『MASTERキートン』を読んで憧れて、アメリカに考古学の研究をしに来た友人がいるんです。漫画を読んで、考古学を学びにアメリカにまで来てしまう人がいる。人を動かす「漫画の力」はすごいと思いました。
僕も、子どもの頃に読んだ水泳漫画のキャラクターが、競泳で、1位ではないのに「やったぜ」とゴールにタッチして手を挙げている姿が、いまだに脳裏に焼き付いている。もちろん、心に残る小説もありましたが、漫画はビジュアルとしての強さもありますよね。
山の良さ、ジャズの良さをまだ知らない人に、とことん知ってもらいたいですし、知るだけでなく、皮膚に針を刺してその痕がしばらく残るくらいのインパクトを与えたかった。漫画であれば、そのくらいの強さで人の心の中に残るのではないか。そう思ったんです。
山とジャズ、このふたつのテーマを描き終えたら、描くものがなくなるのではと思っていたのですが、そうでもなくておもしろいことは世の中にいくらでもある。僕自身が没入して描くことができさえすれば、何を描いてもおもしろくできるのではないかと最近は思います。裏を返せば、「何でもいい」ということですね(笑)。
田中 伝える手段として選んだ媒体が漫画だったんですね。漫画以外の方法は考えなかったのですか?